日本のホーバークラフトの歴史 大分だけじゃなかった!各地にあった航路

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Pinkaba, CC BY-SA 3.0 , ウィキメディア・コモンズ経由で https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hovercraft-MVPP5.jpg

こんにちは!乗り物解説の部屋です。今回は「日本のホーバークラフトの歴史」について解説します。

ホーバークラフト15年ぶりに復活

2024年11月30日、日本では15年ぶりにホーバークラフトの運航が再開されます。当初は別府湾周遊コースで運航され、年末までに大分市と大分空港の間の定期航路に就航する予定です。

日本でのホーバークラフトの運航はいつから始まり、なぜ一度終了し、なぜ復活したのでしょうか。

ちなみにホーバークラフトはホバークラフトとも表記されますが、この動画では大分で使われているホーバークラフトの表記で統一します。

ホーバークラフトの誕生

実用的なホーバークラフトを発明したのはイギリスのクリストファー・コッカレルで、1959年に政府の支援を得てサンダース・ローSRN1を製作しました。1962年にはサンダース・ローSRN2による旅客運航が開始されています。1966年、サンダース・ローとヴィッカースの合弁によりブリティッシュホーバークラフト社が設立、両社のホーバークラフト部門を集約しました。

日本初のホーバークラフト旅客運航

日本で初めてホーバークラフトの旅客運航が行われたのは1967年のことです。ブリティッシュホーバークラフト社のSR.N6(定員38名)を三菱重工業が1隻輸入し、「ひかり」と名付けました。1967年1月に到着後、試験航海を行い、同年7月より九州商船の島原~百貫~本渡航路に就航しました。しかし翌年には運航を終了し、1969年7月に志摩勝浦観光船に移籍、蒲郡~西浦~鳥羽航路に就航しましたが、こちらでも長くは続かず、1971年7月に退役しました。旅客用ホーバークラフトの輸入はこの1隻のみで、後述の国産が普及しました。

三井造船の国産ホーバークラフト

SR.N6の輸入と時を同じくして、三井造船が国産旅客用ホーバークラフトを開発し、1969年より就航しました。三井造船は日本唯一の旅客用ホーバークラフトのメーカーとなり、1970年代に同社製のホーバークラフトが日本各地で導入されました。

三井造船のホーバークラフトは3種類が製造され、登場順にMV-PP5、MV-PP15、MV-PP10となっています。MV-PP5は最初に登場し最も多く製造されました。また、MV-PP15はMV-PP5の3倍の輸送力を誇る大型ホーバークラフトです。MV-PP10は老朽化したMV-PP5を置き換える為に開発され、輸送力も2倍となっています。

3種のホーバークラフトとその運航事業者・航路を順番に見ていきましょう。

最も多く製造されたMV-PP5

MV-PP5は定員52名で、機関は石川島播磨重工業製ガスタービンエンジン1基です。のちに船体を延長したMV-PP5Mk2(定員75名)も登場、新造及び既存船の改造が行われました。19隻が建造され、日本で最も普及した旅客ホーバークラフトとなりました。

三井造船ホーバークラフトの初就航は1969年7月27日、名鉄海上観光船の蒲郡~西浦温泉~伊良湖~鳥羽航路でした。同社は1979年にホーバークラフトの運航を終了しています。

次いで1971年10月6日の大分空港移転により、空港アクセスを担う大分ホーバーフェリーの大分市~大分空港航路で就航しました。同社は後述のMV-PP10を後継として導入し、MV-PP5は2003年までに退役しました。

1972年4月には鹿児島空港が移転し、空港アクセスとして同年7月15日より空港ホーバークラフトが加治木~鹿児島~指宿、加治木~桜島~指宿で就航しました。加治木港から鹿児島空港まではバス移動でした。道路の整備が進んだことで優位性を失い、1977年12月に航路廃止、会社は清算されました。

1972年7月18日には八重山観光フェリーが石垣島~竹富島航路で運航を開始、石垣島から小浜島・黒島・西表島の航路にも就航しました。しかし、運賃の高さや騒音、塩の吹き上げが問題となり、1981年に竹富島の南側を浚渫し竹富南航路が開通、ホーバークラフトの運航は1982年7月27日に終了しました。

1972年11月8日、国鉄が宇野駅と高松駅を結ぶ鉄道連絡船の宇野~高松航路(宇高連絡船)で運航を開始しました。通常の船が1時間かかるところを23分で結び、急行便扱いで運航されました。キャッチフレーズは「海の新幹線」で、塗装も新幹線と同じ白地に青帯でした。1987年4月1日に分割民営化でJR四国に引き継がれましたが、1988年4月9日の瀬戸大橋開通に伴い運航終了となりました。

1974年12月21日には日本ホーバーラインの大阪~徳島航路で就航しました。就航率の低さや運賃の高さで利用が伸びず赤字となり、同社は1976年9月1日にホーバークラフトの運航を終了しました。その後、徳島高速船株式会社に社名を変更し、1978年より高速船を導入して航路を再開しました。

その他、韓国にも4隻が輸出されました。

大型ホーバークラフトMV-PP15

MV-PP15は定員155名の大型ホーバークラフトで、MV-PP5の3倍の輸送力を誇ります。機関はライカミング社製ガスタービンエンジンを2基搭載しています。4隻が製造され、いずれも三井造船が保有し運航会社にリースする形で運航されました。

1975年の沖縄国際海洋博覧会の開催期間中、琉球海運が那覇新港~海洋博会場間で運航しました。その後、1978年4月より能登と佐渡を結んでいた日本海観光フェリーがカーフェリーの後継として導入しました。4月から10月の季節運航で七尾~和倉~珠洲飯田~小木航路にて運航しましたが、1980年に運航休止、1981年に廃止され、会社も消滅しました。

その他、東海汽船でも導入が検討され、試験航行が実施されました。

経済性に優れた後継機MV-PP10

ホーバークラフトの運航は大分ホーバーフェリーを除いて70~80年代にかけて廃止されました。燃費、船価、メンテナンス、就航率、騒音といったデメリットや代替交通の整備が原因です。

MV-PP10は定員105名で、老朽化したMV-PP5の後継と輸送力を2倍に増強する為に開発されました。機関は経済性を追求しガスタービンエンジンに代わってディーゼルエンジンを4基搭載しています。4隻が建造されました。

登場当時すでに他航路は廃止されていた為、導入したのは大分ホーバーフェリーのみです。1990年~2002年にかけて投入され、2009年の大分ホーバーフェリー運航終了まで活躍しました。

大分ホーバーフェリーの運航終了

大分ホーバーフェリーは陸上アクセスの改善と不景気の影響で空港の利用が減少したことで利用客が減少し赤字となりました。また三井造船は需要減少から2016年でホーバークラフトの部品供給終了を決定しました。大分ホーバーフェリーは2009年10月31日に運航終了、2011年に解散しました。これにより、日本からホーバークラフトの航路は全て姿を消しました。

運航終了後の2010年に4隻とも海外に売却されました。売却先は非公表とされましたが、香港で係留されている写真が撮影されています。その後、2012年に中国船籍の貨物船により4隻中ドリームサファイアを除く3隻が熊本の八代新港に運ばれてきました。3隻とも状態は悪く、ドリームアクアマリンに至っては火災の跡が見られました。保存の動きもありましたが、2015年に解体されています。また、ドリームサファイアは現在も行方不明です。

大分のホーバークラフト復活へ

その後、大分空港へのアクセスが陸路だけでは不便であることから、大分県は2019年に海上アクセスの復活の検討を開始しました。高速船とホーバークラフトが検討され、2020年にホーバークラフトの復活が決まりました。運航は県がホーバークラフトを保有し、第一交通産業グループの大分第一ホーバードライブが運航する上下分離方式とされました。

三井造船が既にホーバークラフトから撤退している為、使用されるホーバークラフトはイギリス・グリフォン社製の12000TDマークⅡ(定員82名)で、3隻が導入されました。

3隻の船名は江戸時代に大分で活躍した教育者「豊後の三賢」に由来しています。

Baien(三浦梅園)

Banri(帆足萬里)

Tanso(広瀬淡窓)

3隻は2023年に建造され、同年から翌年にかけて日本に到着しました。

2024年現在、世界で旅客ホーバークラフトが運航されているのはイギリスのポーツマス~ワイト島航路のみです。2016年製の12000TDが2隻体制で運航されています。

大分でホーバークラフトの運航が再開されると世界で2か所のみ、東洋では唯一のホーバークラフトとなります。

海上自衛隊のホーバークラフト

旅客船としては普及しなかったホーバークラフトですが、軍用では上陸用舟艇として活躍しています。海上自衛隊もおおすみ型輸送艦(1998年就役)の建造に合わせて導入が決まり、当時まだホーバークラフトを作っていた三井造船製とする予定でしたが、調達コストや共通化を考慮した結果アメリカ海軍と同型のものを輸入しました。おおすみ型1隻に対し2隻ずつの計6隻が導入されています。当初はおおすみ型の搭載艇扱いでしたが、2004年より自衛艦扱いに変更されました。その特性を生かし災害派遣でも活躍しています。

まとめ

最後までお読みいただきありがとうございました。

今回は「日本のホーバークラフトの歴史」について解説しました。

ぜひ他の記事もお読みになってください。

参考文献リスト

Wikipedia日本語版・英語版

大分県ホームページ

大分第一ホーバードライブ株式会社公式

TOSオンライン

大分合同新聞 ホーバー運航休止からこれまで

産業技術史データーベース

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