東急5200系「銀ガエル」日本初のステンレス電車 5000系「青ガエル」から派生

鉄道
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こんにちは!今回は「東急5200系」について解説します。「青ガエル」の愛称で親しまれた東急5000系(初代)のステンレス版として作られた東急5200系は、日本初のステンレス電車となりました。

日本初のステンレス製電車

1956年8月、日本鉄道車両輸出組合は、各車両メーカーの役員クラスを現地調査の為、南北アメリカ諸国へ派遣します。団長を務めたのは東急車輛製造の社長吉次利二でした。一行はブラジルでバット社製オールステンレスカーに体験乗車し、アメリカではバット社の工場を見学しました。ステンレスカーに感激を受けた吉次利二は、帰国後にステンレスカーの製造を決意します。

日本ではまだステンレス製車体の電車は製造されておらず、関門トンネル用電気機関車EF10の一部が腐食対策として1953年に外板をステンレスに張り替えた例があるのみでした。

1958年11月、東急5200系が日本初のステンレス電車として登場しました。同時期に製造が進んでいた汽車製造の国鉄153系サロ153形900番台(1958年12月完成)より早く完成させる為、残業をして予定より1か月早く完成させ、日本初の称号を得ました。

5200系は、1954年より製造されていた当時東急の最新型車両であった5000系「青ガエル」をベースに開発されました。外板はステンレス製ですが、構体や骨組みは普通鋼製で、すべてをステンレス製としたオールステンレスカーに対し、スキンステンレスカー又はセミステンレスカーに分類されます。

5000系は丸みを帯びた車体ですが、ステンレス鋼板の加工が難しい為、5200系の側構体は直線に近い「く」の字型とされました。

車体長は5000系の18mに対し、日比谷線乗り入れ規格に合わせて0.5m短い17.5mとされました。

電装品は扇風機の代わりに軸流送風機を採用した他は基本的に5000系と同一となっています。

登場時は3両編成で、制御電動車デハ5200形と中間付随車サハ5250形の2形式が用意されましたが、翌年の4両編成化に伴い中間電動車デハ5210形が登場しました。

運用・更新工事

1958年12月1日、5200系は東横線でデビューしました。編成はデハ5201-サハ5251-デハ5202の3両編成で、各駅停車専用でした。1959年11月にはデハ5211を増結し4両編成となり、急行運用にも入るようになります。製造されたのはこの4両編成1本のみでした。

5000系「青ガエル」のステンレス版ということで、5200系は「銀ガエル」や「ステンレスガエル」の愛称で呼ばれました。コルゲートの入った車体から「湯たんぽ」とも呼ばれましたが、これは次に登場する東急6000系の愛称として定着しました。

1964年4月に東横線の5両編成化に伴い、5200系は田園都市線に転属しました。

1972年には更新工事が行われました。ドアはコルゲートの無い窓が小さめのものに交換し、室内の化粧板を更新、軸流送風機を撤去し扇風機に置き換え、蛍光灯のカバー撤去と灯数削減といった変更がなされました。1973年には側窓の更新によりユニット窓化されました。

1977年、デハ5202は踏切事故に遭い、修復の際に前面下部のコルゲートが無くなり、デハ5201と外観が変わりました。

5200系は1979年7月に東横線へ戻り、5000系2両編成(デハ5054-デハ5050)を桜木町側に併結した6両編成となりました。しかし、翌1980年4月には大井町線に転属し、5000系デハ5117を組み込んだ5両編成を組みます。5両中1両だけ緑の編成となる為、東急は5200系を緑に塗装するか、デハ5117を銀色に塗装して編成の外観を揃えることを検討しましたが、結局そのままで運用に就きました。

5200系はセミステンレスカーの為、鋼製の台枠とステンレスの外板の溶接部で、台枠側の腐食が発生しました。その為、1983年には2度目の更新工事を受け、裾部の修復が行われました。これに伴い側面裾部分のコルゲートが無くなっています。同時に前照灯のシールドビーム2灯化、戸袋窓の更新、乗務員室扉更新が行われました。

1985年6月には目蒲線に転属しますが、3両編成に減車され、サハ5251が休車となりました。そして、1986年6月18日の5000系全廃を前にした1986年5月25日に5200系は東急での営業運転を終えました。

5200系は引退後、5000系と共に上田電鉄に譲渡されましたが、サハ5251は譲渡されずに解体されました。

上田電鉄への譲渡

上田電鉄は1986年10月1日の架線電圧1500V昇圧に合わせ、750V用車両を置き換える為、東急から5000系と5200系の譲渡を受けました。

譲渡された5000系と5200系は全車が制御電動車(後述のデハ5211を除く)でしたが、上田電鉄は1両を電装解除し、1M1Tの2両編成としました。5200系もデハ5202が電装解除され、制御車クハ5251に改番されました。また、制御電動車のデハ5201はモハ5201と改番され、モハ5201-クハ5251の2両編成を組んで運用されました。デハ5211は部品取りとして譲渡されました。

1993年に7200系が導入され、5000系と5200系は引退しました。

保存

引退後、デハ5201は5000系デハ5001と共に東急に里帰りし、長津田検車区での保管の後、東急車輛製造で保管されていました。しかし、デハ5001は2006年に車体前方部のみのカットボディにされ渋谷駅前に展示されました。その一方で、デハ5201は2009年に東急車輛産業遺産第1号として永久保存が決定、2010年には産業考古学会の推薦産業遺産に認定、2012年には日本機械学会の機械遺産に認定され、価値ある車両として大切に保存されています。

デハ5202は上田電鉄の下之郷電車区に倉庫として保存されました。2006年には電装解除の際に撤去されていたパンタグラフが復元されています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は「東急5200系」について解説しました。

日本初のステンレスカーとして登場した東急5200系。製造されたのは1編成のみですが、ステンレスカーの元祖としての価値を認められ、大切に保存されています。

最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。

参考文献

東急ステンレスカーのあゆみ 荻原俊夫 JTBパブリッシング

東急電鉄まるごと探見 宮田道一 広岡友紀 JTBパブリッシング

Wikipedia

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