こんにちは!今回は151系特急電車の特別車両、クロ151形パーラーカーについて解説します。
格式高い東海道本線特急1等展望車を受け継ぐ
1958年11月1日、東海道本線に151系特急電車を使用したビジネス特急「こだま」が運転を開始しました。「こだま」は国鉄初の電車特急で、所要時間の短縮により東京~大阪間の日帰りを可能にし、全車冷房車で快適性も向上しました。乗車率も高く、翌年には増結されるほどの人気を博していました。「こだま」はビジネス客向けの列車で2・3等車のみの設定で、供食設備は食堂車ではなく立食ビュッフェでした。
一方、同区間で従来から運転されていた客車特急「つばめ」「はと」は「こだま」より所要時間が長い上、1等展望車と食堂車以外には冷房が無く、設備面でも見劣りしていました。そこで「つばめ」「はと」に151系を投入し電車化する計画が持ち上がりますが、格式ある列車である「つばめ」「はと」にはビジネス特急の「こだま」には無い1等展望車と食堂車が必要になりました。当時は新幹線の開業が迫っていましたが、利用者層を考えると必要な車両でした。
クロ151パーラーカーの設備
こうして151系用の食堂車と1等展望車の設計が始まりました。食堂車はブルートレイン20系客車の食堂車ナシ20と同様に、調理設備を完全電化した食堂車サシ151が製造されました。
1等展望車は、3等級制から2等級制への移行が予定されていたことから形式は1等車を現す「イ」ではなく2等車を現す「ロ」となり、当初予定されていたクイテ151、クイ151ではなくクロ151となりました。2等車と言っても1等車の後継となる「パーラーカー」は特別料金が必要で、普通の2等車とは別格扱いでした。
クロ151の車内は前方から運転席、区分室、デッキ、開放室、サービスコーナーに分かれています。区分室は1室が設けられた4人用の個室でした。2人用ソファーが向かい合わせに並び、間にテーブルが設けられていました。開放室は1+1列配置で14席のリクライニングシートが並べてありました。リクライニングシートは回転式で7か所で固定可能となっていました。進行方向だけでなく窓に向けたり、内側に向けたりできました。区分室と開放室合わせた1両の定員はわずか18人でした。
各席には列車ボーイを呼ぶスイッチとラジオのイヤホンジャック、電話コードジャックが設けられていました。電話機はデッキの給仕室から列車ボーイが持ってきて設置し、座席から掛けることができたのです。東京23区、名古屋市、大阪市への通話が可能でした。
最後部に設けられたサービスコーナーには冷蔵庫、冷水器、流し台、電熱調理器、タオル蒸し器などが設けられ、注文に応じて軽食や飲み物のサービスを行っていました。
展望車の後継ということで、側窓は当時の鉄道車両では世界最大級の縦1m・横2mの大型ガラスが用いられました。
新幹線開業までの4年間、東海道本線の昼行特急最後の輝き
限られた人の為の車両なので乗車率は良くなかった
1960年6月1日、東海道本線特急4往復はすべて電車化、愛称も整理され「こだま」「つばめ」各2往復となりました。151系は6編成態勢となり、パーラーカーはクロ151-1~6の6両が製造され、下り方先頭車として連結されました。7月1日には3等級制から2等級制に移行、旧1等が廃止され2等→1等、3等→2等となっています。パーラーカーの乗車率は悪く開放室が50~70%程、区分室はVIPの利用に備えて3日前からの発売とされた為さらに利用は少なくなりました。前身の1等展望車同様、高額な値段に加え戦前の身分制度の名残もあって乗れたのはごく限られた層の人々でした。
東海道本線特急の増発に伴う増備
1961年10月1日のダイヤ改正で「富士」2往復(東京~神戸・宇野)、「はと」1往復(東京~大阪)、「おおとり」1往復(東京~名古屋)が設定され、東海道本線昼行特急は8往復に増発されました。これに伴い5編成が増備されクロ151-7~11が製造されました。
1962年6月山陽本線が広島まで電化され、「つばめ」1往復が広島まで延長されました。これに伴い1編成が増備され、クロ151-12が製造されました。
東海道新幹線開業直前、第一富士脱線事故発生
1964年4月24日、特急第1富士が草薙~静岡間で直前横断のダンプカーと衝突する踏切事故が発生、先頭車クロ151-7が廃車になりました。151系は予備車が少ない為事故当該編成の代走が他形式で行われ、4月25日~5月6日は急行型の153系で運転(非冷房のボックスシート車の為「かえだま」と呼ばれた)、5月7日~5月31日は157系で運転、6月1日~6月30日は大阪側先頭車に161系を連結した151系で運転されました。
クロ151の代替新造は行われず、この事故で小破したサロ150-3を先頭車化改造したクロ150-3を代替としました。クロ150-3の内装は通常の1等車と同じ2+2列のリクライニングシートで、定員40名となっています。1964年6月27日落成、7月1日より運用に入りました。
ついに迎えた新幹線開業の日
1964年10月1日、東海道新幹線が開業しました。東海道本線の昼行特急は廃止され、クロ151-1~5,8~12の10両は向日町運転所へ転属し山陽特急で運用されます。うちクロ151-1,4,5,8,9,11の6両は九州乗り入れの為機関車・電源車との併結改造を実施しました。クロ151-6は田町電車区に残り、クハ181 50番台(181と改番された理由は後述)に格下げ改造されました。格下げ工事は運転台部分を残して客室部分の車体を新造する大掛かりなもので、パーラーカーの面影は失われてしまいました。
短期間で投資は十分に回収されていた
1958年10月と1959年2月に「つばめ」「はと」電車化に向けて副総裁、技師長、常務理事、関係各局長を委員とした企画委員会が開催されました。企画委員会では1958年11月1日~1959年1月31日の「こだま」の実績から、年間収入12億1900万円、年間利益9億3900万円と推定、「こだま」運行の為に車両の製造や設備改修にかかった初期投資11億5400万円は1年2か月程で回収できるとされました。
東洋経済ONLINE掲載の記事によるとパーラーカー単体で見ると、その製造費は5か月程で十分回収出来ていたとされています。同記事の試算ではパーラーカー含む一等車の乗車率・乗車キロを使用していますが、パーラーカーの乗車率は普通の1等車より悪かったと書いた書籍もあるため、実際にはもう少し時間がかかっていたかもしれません。
山陽本線では需要が無く、開放室を2等車に格下げ改造
151系は1965年3月から1966年9月にかけて主電動機換装による出力増強、勾配に対応した制御装置の変更が行われ181系となり、クロ151もクロ181となりました。
山陽本線でも引き続き運用されたパーラーカーですが、東海道本線とは客層が異なることから利用客は少なく、乗客がいないことも多くありました。特別料金値下げも効果が無く、普通車への格下げが行われることになります。1966年10月から1967年10月にかけてクロ151-1~5、8~10の開放室を2等車に改造、形式もクロハ181に改められました。開放室跡に2+2列の回転クロスシートが32席並べられました。クロ181-11、12はVIP、外国人団体の利用の為に原型で残存しました。
1968年10月改正で原型で残った2両は転属しクロ181-11が新潟へ配置されクハ181 50番台に格下げ改造、クロ181-12が長野に配置されクハ180 50番台(碓氷峠でのEF63連結対応、長野配置車)に格下げ改造されます。
1969年5月10日、等級制からモノクラス制に移行し1等車はグリーン車、2等車は普通車となりました。この際に区分室(4人用個室)も通常のグリーン車と同額で利用可能になりましたが、マルスに入っていない為予約しづらく、利用率は伸びませんでした。
181系は1972年から1973年にかけて山陽特急の485系への置き換えにより新潟・長野へ転属していき、1973年5月25日をもって運用を終了しました。
長野、新潟への転属で大改造、消えた面影
クロハ181-1~5、8~10は新潟転属車がクハ181 50番台、長野転属車がクハ180 50番台に格下げ改造が行われました。そして長野のクハ180 50番台は1976年1月までに、新潟のクハ181 50番台は1979年2月までに全廃され、クロ151としての登場から13~18年での廃車となり短命に終わりました。車両によっては大改造からわずか2年ほどで廃車された車両もありました。
前述の通り、事故廃車になったクロ151-7を除いた全車が格下げ改造で客室部分を新造した為、パーラーカーの原型車体を残した車両はなく、保存はされませんでした。パンフレット写真のような内装を見てみたかった人も多いのではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は「クロ151形パーラーカー」について解説しました。
東海道新幹線開業を控えた当時、東海道本線昼行特急の最期を飾った151系。当初はビジネス特急「こだま」として登場しましたが、速達性と全車冷房の快適性から客車で運転されていた「つばめ」「はと」も置き換えることになります。この為、ビジネス特急として1等展望車と食堂車を連結していなかった151系に両車が用意されました。しかし、1等展望車の後継として登場したクロ151は東海道本線以外では客層の違いから需要が乏しく、新幹線開業後は閑散としており、最終的に普通車に格下げされました。
最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。
参考文献
国鉄・JR悲運の車両たち 名車になりきれなかった車両列伝 寺本光照 JTBパブリッシング
残念な鉄道車両たち 池口英司 イカロス出版
グランクラスより儲かった国鉄の「特別座席」 東洋経済オンライン
Wikipedia