JALとANAだけが導入した日本専用ジャンボ「747SR-100」

航空機
Amayagan, CC0, ウィキメディア・コモンズ経由で https://commons.wikimedia.org/wiki/File:ANA-Boeing_747SR-81-JA8153-Fukuoka_airport-20040613-163216.JPG

こんにちは!今回は日本専用に開発されたジャンボジェット、ボーイング747SR-100について解説します。

日本の国内線事情が生んだ日本専用モデル

1970年頃の日本では国内線の旅客が増加する一方、羽田空港をはじめ空港の発着枠が不足しており、増便が出来ず旅客需要に対して供給座席数が不足していました。羽田空港の混雑は既に70年代から始まっていたのです。供給座席数を増やすには機材を大型化して1便当たりの座席数を増やす必要がありました。当時の日本は今と異なり、人口が増加し経済が発展する頃であったため、供給座席数の増加、大量輸送がトレンドでした。

そのような背景から、ボーイング社は日本航空に対し、当時世界最大の旅客機であった747-100をベースに日本の国内線に最適化した747SR-100を提案しました。SRはShoto Range(短距離)の略です。日本航空は1972年12月に4機を発注、1973年9月4日に初号機が初飛行、同年10月7日に就航しました。

Communi core by S.Fujioka, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, ウィキメディア・コモンズ経由で
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Boeing_747-200_(JAL)_01.jpg
JALの747SRの中で最後まで現役だったJA8124 ファイル名は747-200とされていますが、登録記号から画像の機体は747SR-100であると思われます

短距離路線中心の過酷な運用に耐える為の特別仕様

飛行機の寿命は与圧の負荷や着陸の衝撃による機体の疲労を考慮して飛行時間と飛行回数の耐用限度で決められています。747-100の場合、耐用限度は飛行時間6万2000時間、飛行回数2万4600回です。飛行時間と飛行回数が同時に限度に達するのは1回あたりの飛行時間が約2.5時間の場合です、短距離路線の多い日本では飛行時間に余裕があるまま飛行回数で寿命を迎えてしまいます。

747SR-100では機体の構造が強化され、短距離路線は巡航高度が低いことから疲労軽減の為にキャビン与圧の差圧を8.9psiから6.9psiに引き下げています。747SR-100の耐用限度は飛行時間4万2000時間、飛行回数5万2000回となり、飛行時間は短くなりましたが、飛行回数は2倍以上になりました。これによって、短距離路線でも寿命まで十分に活用できる機体になりました。

短距離路線運用は着陸の回数・頻度が多くなることからブレーキも改良型が採用され、ブレーキ温度のモニター装置も搭載されました。

機内設備も短距離路線に特化して更に定員増加

短距離路線では機内の飲食サービスは限られることからギャレーは小型化されました。トイレの利用も少ないことから13か所から9か所に削減され、空いたスペースは座席数増加に充てられました。搭乗している時間が短いことから座席も詰め込み配置で、配置は当時747で採用されていた3-4-2ではなく3-4-3としました。(後には国際線の747でも3-4-3が一般化しています。)

カタログスペックで着陸料を節約

空港の利用にかかる着陸料は機体の最大離陸重量で決まります。747SR-100の燃料タンクは747-100と同容量ですが、短距離路線専用機なので燃料を多く積むことはありません。そこでスペック上の最大離陸重量を747-100より軽く設定することで着陸料を節約しています。これに伴いスペック上の航続距離も短くなり3000km(747-100は8900km)となっています。新千歳~那覇線が約2400kmなので、国内路線は十分にカバーできます。

さらに改良されたANA仕様

John Wheatley (GFDL 1.2 http://www.gnu.org/licenses/old-licenses/fdl-1.2.html または GFDL 1.2 http://www.gnu.org/licenses/old-licenses/fdl-1.2.html), ウィキメディア・コモンズ経由で
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:ANA_Boeing_747SR_PER_Wheatley-2.jpg
就航当時の「モヒカンルック」塗装 アッパーデッキ左舷に非常口が増設されたことが分かります

日本航空に遅れること数年後、全日本空輸もL-1011に代わる主力機材として747SRの導入を決め、1978年12月に初号機を受領、翌1979年1月25日に就航しました。全日本空輸向けの機体はさらに輸送力を増強した仕様となっていました。当時747のアッパーデッキ(2階席)の非常口は右舷のみに設置されていましたが左舷にも増設、また2階への階段を螺旋階段から直線階段に変更することにより2階席の座席数を増加させました。1979年3月受領の3号機JA8135は旅客機史上初の座席数500席となりました。

747SR-100の運用

日本航空での運用

1973年10月7日、日本航空の羽田~那覇線で初就航しました。当初は478席仕様、480席仕様、490席仕様がありましたが、1974年7月に498席仕様に統一されました。

1978年6月2日に日本航空115便尻もち事故が発生、この時の事故当該機JA8119の圧力隔壁修理ミスから1985年8月12日に日本航空123便墜落事故が発生、単独事故では史上最多の死者を出した事故となりました。

その後、747SR-100は日本航空から1994年に退役しました。

全日本空輸での運用

全日本空輸では1979年1月25日に就航し、「スーパージャンボ」の愛称、「NEXT ONE」のキャッチコピーが与えられました。本機の就航に合わせてスチュワーデス(当時の呼称)の制服が三宅一生デザインのものに一新されました。世界初の座席数500席で、これまた世界初の機内ビデオ設備「スカイビジョン」を標準装備していました。

JA8156とJA8157は国際線への投入の為、エンジンを同社所属の747-200Bに搭載されていたCF6-50E2に換装、最大離陸重量を264トンから340.5トンに引き上げ、国際線仕様機としました。JA8157は機内も改修され、ギャレーの大型化とトイレの増設が行われました。

747SR-100は全日本空輸から2006年3月10日に退役しました。

他社での中古機運用

747SR-100の一部は退役後貨物機に改造され、元日本航空機がエバーグリーン・インターナショナル、UPSで、元全日本空輸機が日本貨物航空で運用されました。

また、元日本航空のJA8117は退役後NASAが購入、シャトル輸送機2号機に改造され活躍しました。スペースシャトル計画終了後の2012年2月に退役するまで運用されました。

シャトル輸送機に関してはこちらで解説しています。

日本国内線専用モデルの系譜

ベースとなる747の改良に伴い、日本国内線専用モデルも改良されていきました。

1980年 747-100B/SR(747-100Bベース)

1986年 747-100B/SR/SUD(747-100Bをベースにアッパーデッキを延長)

1987年 747-300SR(747-300ベース)

1991年 747-400D(747-400ベース) DはDomestic(国内線)の意味

最後の日本国内線専用モデル747-400Dは2014年3月31日に全日本空輸から退役し、747の日本国内線専用モデルの歴史に終止符を打ちました。

ボーイング787にも開発当初、日本国内線専用モデルとして787-3が設定され、ANAとJALが発注しましたが、787全体の開発の遅れから2社は発注を通常モデルに振り替え、787-3の開発は中断されました。もし、実現していたらどのようなモデルになっていたのでしょうか。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は「747SR-100」について解説しました。

日本航空123便墜落事故の当該機としての悲劇的なイメージが強い747SR-100ですが、羽田空港の混雑により増便が難しい中で国内線の輸送力を増強し、当時の輸送を支えたという側面もありました。日本の国内線での運用に特化した専用モデルは後に登場する747の改良型にも用意され、発着枠不足に悩む国内線を長きにわたり支えました。

最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。

参考文献

747ジャンボ物語 誕生からダッシュ8まで栄光の半世紀 杉江弘 JTBパブリッシング

ライバル対決名旅客機列伝1 超大型四発機ボーイング747VSエアバスA380 イカロス出版

ジェット旅客機進化論 浜田一穂 イカロス出版

JAL公式サイト

ANA公式サイト

Wikipedia

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