こんにちは!今回はコンベアCV880・CV990について解説します。
中型ジェット旅客機の市場
1954年、コンベア社はジェット旅客機の開発を開始しました。先行するライバルメーカーのボーイング707やダグラスDC-8といった大型・長距離向けのジェット旅客機に対して、コンベア社はより小型で、アメリカ大陸横断路線等向けの中距離旅客機の市場を狙いました。
当初は「スカイラーク」の名で100席級の機体として開発が始められました。その後、トランスワールド航空(TWA)のオーナーであった大富豪ハワード・ヒューズの働きかけで、124席級に大型化、高速性能を重視した機体となり、名も「ゴールデンアロー」に改められました。「ゴールデンアロー」の名はコンベアが開発していた機体外皮の金色の被膜に由来します。これによって塗装を施していない胴体下面や主翼が金色に輝く筈でした。
しかし、金色の皮膜は実用化されず、巡航速度時速600マイル(966km/h)を意味する「600」に改名され、その後秒速880フィート(966km/h)を意味する「880」に改名しています。
DC-8と同様、原型機を作らずいきなり量産用治具で製造するクック・クレイギー法を採用しています。開発期間は短縮できますが、設計に自信が無いとできない方法です。
CV880は1959年1月27日初飛行しました。その後、FAAの要求で増えた配線を収める為、胴体上部に張り出しが設けられました。 1960年5月にFAAの型式証明を得て、同月中にデルタ航空で就航で就航しました。初就航がTWAでは無かったのは、当時TWAが資金難で支払いが出来ず、デルタ航空に先を越された為です。
コンベア880の設計
エンジンはゼネラルエレクトリックCJ805ターボジェット(軍用名J79)を搭載しています。F-104、F-4戦闘機に搭載されたエンジンと基本的に同型ですが、アフターバーナーは装備していませんでした。推力重量比の高いエンジンですが、機構は複雑で整備性に問題がありました。
エルロンリヴァーサル対策として翼端にエルロンを設けず、内側と外側のフラップの中間に小さいエルロンを設けた設計とし、主翼上面のスポイラーでその役割を補助しました。
胴体幅は3.25mで、2列+3列配置となっています。
初期型の880-22は離着陸性能、操縦性、エンジンの信頼性といった問題が浮上し、燃費の悪さから採算性にも難がありました。最大の売りであったスピード性能も、見積もりより抵抗が大きいことから目標の巡航速度を達成できませんでした。880-22はTWA27機、デルタ航空17機、ノースウエスト航空4機の48機で生産終了となりました。
改良型880-22M
880-22の抱える問題に対応した改良型として880-22Mが開発され、既存の-22も-22M仕様に改修されました。エンジンを改良型のCJ805-3Bとし、主翼前縁にスラットを追加、操縦系統の一部に油圧を併用といった設計変更が行われています。しかし、前述の問題は完全には解消されませんでした。
日本航空はDC-8より小型のジェット機として880-22Mを選定し8機を導入、1961年9月より運行しました。国内線、アジア路線、ヨーロッパ線で運用され、国内線で運航された初のジェット旅客機でもあります。また、日本国内航空も1965年3月に中古で1機を導入しましたが、1966年7月より日本航空にリースしました。日本航空もCV880の抱える問題には悩まされ、さらに訓練中に3機(前述の日本国内航空からのリース機含む)を事故で喪失したこともあり、1970年10月には退役しています。日本国内航空からのリース機喪失に関しては、日本航空が727-100を無償譲渡して補填しました。
CV880は-22と-22M合わせてわずか65機の製造に終わりました。
発展型コンベア990
コンベア社はCV880の発展型としてCV990を開発しました。CV990は長距離国際線への進出を図った機体で、さらなる高速性能を持つ「世界最速の旅客機」として開発されました。880と異なり、990のナンバーは語呂で選ばれたもので、速度とは関係ありません。
胴体は3m延長され、主翼は幅を変えずに後縁を伸ばして翼面積を増やしており、翼圧比が小さくなっています。
エンジンはCJ805-23ターボファンを搭載しています。CJ805-23は珍しいアフトファン式ターボファンエンジンで、圧縮機駆動用タービンの後ろに配置した、軸と繋がっていない独立した低圧タービンでファンを駆動しています。CJ805は1軸の為フロントファンに出来なかった為ですが、構造上燃費性能には劣りました。同時代のJT3Dやコンウェイは2軸式で、低圧圧縮機の前方にファンを配置しています。
特徴的な主翼後縁の突起は、スピードカプセル又はアンチショックボディと呼ばれるもので、エリアルールを適応し 断面積の変化を緩やかにして空気抵抗を減らす役割と、主翼上面の気流を整えることで衝撃波の発生を抑える役割を持っていました。内部は燃料タンクにする予定でしたが、外側のそれは燃料を入れると主翼が振動する為に使えませんでした。
CV990もまた目標の巡航速度に達することができず、ライバルに対する速度面の優位性はわずかとなってしまいました。またCV880と同様に経済性の問題を抱えていました。
CV990は1961年1月24日に初飛行し、1962年3月にアメリカン航空で就航しました。その後、主翼前縁のスラットをクルーガーフラップに変更し、エンジンパイロンの空力性能を改善した改良型の990Aが開発され、既存の990も990Aに改造されました。
CV990の販売は失敗に終わり、CV880よりさらに少ない37機のみの製造に終わりました。
CV880は1962年に、CV990は1963年に生産を終了し、コンベアは旅客機生産から撤退することになりました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は「コンベアCV880・CV990」について解説しました。
CV880・CV990は共にスピードを追求した機体でしたが、経済性に難がある上に肝心のスピードも目標を達成できず、ライバルに対して優位に立つことはできませんでした。結果、コンベア社は旅客機の市場から姿を消すことになりました。
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参考文献
ジェット旅客機進化論 浜田一穂 イカロス出版
旅客機発達物語 石川潤一 グリーンアロー出版社
ジェット旅客機 コメット、B707からジャンボ、B767、A320まで 読売新聞社
旅客機 CIVIL AIRLNERS since 1946 K.マンソン 湯浅謙三訳 野沢正監修 鶴書房
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