史上初の軽自動車「オートサンダル」はミッドシップのオープンカーだった

自動車
Muyo, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Autosandal01.jpg

こんにちは!今回は史上初の軽自動車であるオートサンダルについて解説します。史上初の軽自動車オートサンダルは現存するのでしょうか。

初の軽自動車を製造したメーカー「中野自動車工業」

現在では庶民の足として欠かせない存在となった軽自動車ですが、史上初の軽自動車はどのような車だったのでしょうか。日本の軽自動車規格に基づいた史上初の軽四輪車として登場したのは、「中野自動車工業」の「オートサンダルFS型」です。1951年に発売されました。

中野自動車工業(1952年に日本オートサンダル自動車へ社名変更)の経営者であった中野嘉四郎は戦前、ジャイアントナカノモータースを設立し三輪トラックジャイアントを販売した(後にジャイアントの生産は他社に移管)ことで知られています。「オートサンダル」という独特な車名にはサンダルを履くように気軽に乗れる車になって欲しいとの願いがこめられました。

1950年代前半、軽オートバイやスクーターが小口運搬に多く使用されていました。当時の免許制度ではバイク・スクーターと同じ免許で乗れる軽四輪車があれば天気を気にせず使え、荷物への振動の影響も抑えられます。この時代に大手メーカーではなく「中野自動車工業」をはじめとする中小メーカーが需要に応え、様々な軽自動車が開発されました。バイク・スクーターの免許で乗れていたとは驚きですね。

オートサンダルのカタログには「国民と国土にマッチした画期的小型経済車」、「旺盛な需要にこたえ充実したる設備と最新の技術を誇る自動車工場が生んだ軽四輪自動車」、「雨の降る日も風の日もにっこり笑って心配無用故障も知らぬオートサンダル」といったキャッチコピーが用いられました。

独特な変速機を持つ初代・オートサンダルFS型

最初に発売されたモデルはオートサンダルFS型です。2人乗りのオープンカーで、車体は職人によってハンドメイドで作られました。エンジンは中日本重工業製の汎用エンジンCE-30(強制空冷4サイクルサイドバルブ式単気筒348cc 5.5馬力)をミッドシップに搭載し、後輪を駆動するMR方式でした。エンジンは車体右側面のキックスターターを使い始動します。ギアではなく円盤の摩擦で動力を伝達するフリクションドライブ方式を採用しました。2枚の円盤をこすり合わせて動力を伝達します。写真手前の円盤が左右に動き、それによってギア比を変える無段変速方式です。最高速度は45km/hで、当時の道路事情では十分な性能でした。

Muyo, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Autosandal_engine.jpg
オートサンダルFS型の変速機 2枚の円盤で動力を伝達する 手前の円盤が左右に動くことでギア比を変える

性能と実用性を向上させた2代目・オートサンダルFS型

オートサンダルは翌1952年にモデルチェンジを受け、オートサンダルFN型「ロードスターロリー」が発売されました。同じく2人乗りのオープンカーで、エンジンはFS型と同じCE-30を搭載していましたが、マニュアルトランスミッション(前期2速、後期3速)を採用、最高速度は50km/hに向上しました。駆動方式はエンジンをリアに搭載し後輪を駆動するRR方式に変更、エンジン始動方法はキックスターターからクランク棒に変更されています。車体はFS型と同様にハンドメイドでした。長いボンネットにはFS型に無かったトランクルームが確保され、実用性が向上しました。

前輪駆動となった3代目・オートサンダルNT型

オートサンダルは1954年に再びモデルチェンジを受け、オートサンダルNT型になります。NT型は自社開発のエンジンを搭載、水冷2サイクル2気筒238ccで10馬力を発揮しました。排気量が下がったのは当時の軽自動車規格が4サイクル360cc、2サイクル240ccとされていた為です。このエンジンに3速マニュアルトランスミッションを組み合わせています。エンジンの出力増により最高速度は70km/hに向上しました。駆動方式は再び変更され、前方にエンジンを搭載し前輪を駆動するFF方式を採用しました。

2サイクルエンジンではガソリンにエンジンオイルを混ぜる必要があります。当時はガソリンとエンジンオイルを混ぜてから入れる混合給油が一般的な中、ガソリンとエンジンオイルを別々に入れる分離給油を早い段階で採用しました。また、エンジン始動もスターターが付いたことで容易になりました。

ロードスター、ピックアップ、軽ジープ貨物車のバリエーションが展開され、何れも屋根は幌でした。

オートサンダルのその後

オートサンダルは1954年に生産を終了し、総生産数は200台前後でした。

その後の日本オートサンダル自動車の消息は不明とされていますが、数年後にほぼ同じ住所の「名発自動車工業」から軽自動車「ポピュラーN4」が発表されています。ポピュラーN4は一見三輪自動車のような外観ですが、後輪がダブルタイヤとなっている独特なデザインの四輪自動車です。この名発自動車が日本オートサンダル自動車の後身であるとも言われていますが、詳細は不明とされています。

現存が確認されるオートサンダルは2台のみで、福岡県久留米市の自動車博物館「セピアコレクション」がFS型、FN型(後期3速MT)各1台を所蔵しています。2台ともに動態保存されており、製造から70年を経た現在でも公道走行が可能です。NT型の現存車は確認されていません。

オートサンダルの後に続いて、様々な会社が軽四輪に挑戦しました。しかし、ほとんどが少数生産に終わりました。初めて商業的に成功し広く普及した軽自動車はスバル360で、その発売は1958年のことになります。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は「オートサンダル」について解説しました。

史上初の軽自動車となった「オートサンダル」は約200台で生産を終了しました。福岡県久留米市の自動車博物館「セピアコレクション」には製造から70年を経た現在でも、公道走行が可能な状態で保存されています。ぜひ、訪れて実車をご覧ください。

オートサンダルを製造したメーカー「中野自動車工業」のその後に関しては明らかになっていません。しかし、軽自動車はオートサンダルに続き各社が開発、スバル360の登場により普及し、現在では人々の生活に無くてはならないものになりました。

最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。

参考文献

懐かしの軽自動車 中沖満 グランプリ出版

カタログで楽しむ360ccの時代 日本の軽自動車 小関和夫 三樹書房

オートサンダルの各カタログ

セピアコレクション 博物館の名車

パネル展 中部産業遺産研究会 中部における国産車のあゆみ 軽自動車のパイオニア「オートサンダル号」

今は亡き日本の自動車メーカー5選 CarMe by 車選びドットコム

オートサンダル(1951年) ノスタルジック2デイズ2023写真集 Webモーターマガジン

Wikipedia

タイトルとURLをコピーしました