こんにちは!今回はボーイング707について解説します。ボーイング初の、そしてアメリカ初のジェット旅客機であるボーイング707は、ジェット旅客機の時代を築き、現在のジェット旅客機の祖になった機体です。
歴史を変えた飛行機
今日では人々の生活に無くてはならない存在になったジェット旅客機。様々な機種のジェット旅客機が世界中で日々乗客を運んでいますが、その殆どは主翼下からパイロンでエンジンポッドを斜め前に突き出す形で吊るすエンジン搭載方式を採用しています。
このエンジン搭載方式を初めて採用した旅客機がボーイング707です。後の旅客機の基本となる設計を導入しており、今日に至るジェット旅客機の標準を築いた機体と言えます。ジェット旅客機の先祖となったボーイング707は「ライトフライヤー以来の快挙」と称され、「人類に一番貢献した飛行機」だと考える歴史家もいます。
707の設計・技術
707の主翼は1/4翼弦後退角35度で、エンジンはB-52と同じプラットアンドホイットニーJT3Cターボジェットを搭載しています(基本型の場合)。
707のエンジン搭載方式はボーイング社がB-47爆撃機向けに開発し、同社のB-52爆撃機でも採用されていたものです。B-47とB-52は高翼機なので、低翼機への採用は707が初めてでした。
この方式はメリットが多く、
エンジンによって重心を前に持ってくることで主翼のフラッター(ばたつき)を防止できる
主翼周囲を流れる気流を乱さない為、空気抵抗が少ない
エンジン火災発生時、火災を気流が主翼下面より下に抑える為主翼への延焼を抑えられる
主翼内部にエンジンを埋め込まない為、主翼を薄く・軽くできる
主翼に分散してエンジンを配置することで主翼の曲げモーメントを分散できる
飛行機は飛行中主翼の揚力で胴体を支える為、主翼にエンジンを付けることで胴体にエンジンを取り付けるよりも主翼付け根にかかる負担を軽減できる
といった利点がありました。
エンジンの上部にはエンジンの動力で動作するターボコンプレッサーが装備され、与圧用の圧縮空気を供給します。エンジン上部、パイロンの前部にある膨らみがそのカバーです。第1エンジン(一番左側)にはターボコンプレッサーが無い為カバーもありません。
707の操縦翼面配置もその後の標準となったものです。主翼後縁に内側からフラップ、高速エルロン、フラップ、低速エルロンと配置し、フラップの前にスポイラーを配置しています。低速域では高速・低速両方のエルロンが動き、高速域では高速エルロンのみが動く設計となっています。これはB-47の開発時に問題となった高速域で翼端のエルロンが動いた際、翼端がねじれ、飛行機が反対側に曲がってしまうエルロンリヴァーサルを予防する為です。高速エルロンは内側エンジンの直後、排気の関係でフラップを配置できない位置に配置されました。
方向舵には後退翼機特有のダッチロールを抑制するヨーダンパー「リトル・ハービー」を装備しています。B-47開発時にされたもので、707以降のジェット旅客機にも装備されています。
胴体は二重円弧断面(逆だるま型)を採用しています。試作機から二度の設計変更を受け断面が拡大されました。
従来の機体のドアは外側から閉める仕組みでしたが、ドアを内側から閉めるほうが強度と機密性を高めることが出来ます。しかし、ドアを内側に開くとその分客室のスペースを取り座席数が減ってしまいます。そこで707のドアは二重関節でドアを少し内側に開いた後、ドアの縦の長さを短くし外側に開く仕組みとなりました。
内装も今日の旅客機に大きな影響を与えています。ジェットエンジンはレシプロエンジンより整備にかかる時間が短い為、到着後にすぐ再出発できます。稼働率を向上する為、内装も清掃しやすくされました。これまでの機体のような布張りの壁とカーテンを廃し、アルミ板をビニールコーティングした壁と窓のサンシェードを採用、明るく清潔な内装としました。
座席は敷物の下のレールに固定する方式として、用途や需要に応じて座席配置の変更も容易に出来るようになっています。
窓を従来の機より小さめにして、狭い間隔で配置することでどの列にも窓があるよう工夫されました。ライバル機のDC-8は大きめの窓を広い間隔で配置していた為、窓がない列もありました。
また707向けに考案された座席のひじ掛けのスイッチパネルは後に多くの旅客機に普及しました。
707の開発史
ボーイング社では1940年代末からジェット旅客機の計画・開発を開始しました。既存のレシプロ旅客機や先行する英国のデ・ハビランド・コメット(1949年初飛行)より大型で、巡航速度もコメットを凌ぐ機体を計画しました。民間・軍の両方を見据え、ジェット旅客機とジェット空中給油機のニーズを満たす機体として開発が行われました。
当時、各航空会社ではジェット旅客機への関心が高まっていましたが、ジェット化への疑問も残されていました。また、事業拡大により多くのレシプロ旅客機を購入したことによる債務を抱えていました。また、アメリカ空軍では当時、導入が進んでいたジェット爆撃機に対して既存のレシプロ空中給油機では速度差が大きい為、ジェット空中給油機の開発が求められていました。しかし、ジェット空中給油機を導入する資金が不足していました。このため、ボーイング社は自社資金で開発する必要がありました。
1952年4月、ボーイング社は試作機を自社資金で制作することを決定、1600万ドル(現在の価値で1億5790万ドル)の投資を行いました。失敗すれば経営に大打撃を与える社運を賭けたプロジェクトとも言われていますが、この投資がなければ多額の税金が課せられていた為、実質の投資額は400~500万ドルに過ぎないとも言われています。
新時代のジェット旅客機ということでモデルナンバーはこれまで使われていなかった700番台の番号となりました。700ではなく707となったのは発音の響きの良さからマーケティング上の理由で選んだ為です。その後のボーイングのジェット旅客機には7〇7のモデルナンバーが附番されることになります。
707の呼称が用意されましたが、開発中は表向きに367-80と呼ばれました。ボーイング367はレシプロ輸送機・空中給油機のC-97・KC-97(民間向け旅客機型は377)で、367-80はその発展型のような名前になっています。競合他社の目をくらまし、新型ジェット機開発に気づかれないようにする為の措置でした。367及び377の後継を担う機体ではありました。
1954年5月14日、試作機367-80がレントン工場でロールアウトしました。地上滑走試験中に左主脚が折れる事故が発生し、修理の為プロジェクトに6週間の遅れが出ました。修理の進行状況から初飛行はボーイング社創立記念日に合わせて行われることになり、7月15日にテストパイロットのテックス・ジョンストンの操縦で初飛行しました。
1955年の夏、競艇「ゴールドカップレース」がレントン工場の北、ワシントン湖で開催されました。20万人の観戦客が集まり、ボーイング社でも社用船に航空会社の社長、航空業界の有力者を招待し観戦しました。そのレースの合間、367-80が会場上空を飛行することになっていました。飛行前日、飛行の制限に不満があり高速度低空飛行の許可を得たテックス・ジョンストンは当日、会場上空でバレルロールを実行しました。機体は裏返しでボーイング社の船の上を通過、観客は拍手喝采で、バレルロールは初めからボーイング社が計画したものだと思っていました。
ジョンストンはバレルロールをする為に事前に準備し、安全を確認していましたが、ボーイング社長他首脳陣には知らせていませんでした。驚いた社長は心臓発作用の救急錠剤を携帯していた友人のラリー・ベルに「ラリー、頼むから、君の持っている薬を一錠、分けてくれないか」と言ったそうです。
翌日、テックス・ジョンストンは社長に呼び出されました。ジョンストンは社長にバレルロールはロールしながら上昇しているので機体には常に1Gがかかっており、水平に飛んでいるのと同じで無理な力はかかっておらず、燃料、油圧系統も正常に動き安全だと説明しました。このとき高度400フィート(122メートル)でロール開始、ロール終了時の高度は1600フィート(488メートル)でした。ジョンストンは新型機開発に欠かせない優秀なテストパイロットだったので、次はしないように注意を受けたのみでクビは避けられました。
空中給油機KC-135
ボーイング社は民間向けの前に軍への売り込みを行い、367-80に空中給油ブームを装備してのデモ飛行が実施されました。軍に採用されればまとまった受注が得られるので開発費を回収することが出来ます。1954年8月、空中給油機KC-135として採用され、空軍の要望で胴体は幅3.35m、高さ4.17mから幅3.66m高さ4.22mに拡大されました。KC-135の初号機は1956年8月31日に初飛行し、1957年6月に引き渡しが開始されました。
KC-135は25000ガロン(94625リットル)の燃料を搭載でき、胴体下部は燃料タンク、胴体上部は兵員・物資輸送スペースとなっています。胴体に窓はほとんどありません。820機が製造され、更新を経て現在も現役で活躍しています。
しかし、空軍との契約は旅客機としての販売の足かせになってしまいます。空軍はKC-135を最優先にするよう命令し、また空軍の予算で調達された機械設備を使用するには国防総省の承認が必要でした。数か月かかった請願中にダグラス社の追い上げを許してしまうことになります。社長直々に空軍長官と交渉し、ボーイング社が設備費用の一部を負担することを条件に民間向けの製造許可は1955年7月に下りました。
DC-8との受注競争
旅客機型は1955年6月に開発が発表されたダグラスDC-8(胴体幅3.73m)への対抗の為に設計変更が行われ、胴体がさらに拡大され幅3.76m高さ4.33mとなり、余裕をもって横6列配置できるようにしました。KC-135との共通性を失うことでコストはかさみますが、強力なライバルであるダグラス社に対抗する為には必要な措置でした。
ダグラス社の派手な宣伝に対抗する為、ボーイング社も以前はあまり行っていなかった派手な宣伝を実施しました。707のキャビンモックアップに招待客を集め、ジェット時代の旅を体験してもらうというもので、アナウンスや機内サービスが行われました。
キャビンモックアップを見たリンドバーグは「飛行機というものはどんどん大きくなっていくということを念頭に置く必要がある。大きさを抑えようなどと考えてはいけない。」と後の旅客機の大型化を予想する言葉を残しています。
初期に受注をどれだけ集められるかはその後の売り上げにおいて重要な要素です。
1955年10月、PAM AMが707を20機、DC-8を25機発注、707とDC-8の両者にとって初の受注で、ここから受注競争が始まりました。両機を導入したPAM AMは後に貨物室容積の大きい707を評価し、機材統一の為DC-8は10年ほどで早期に引退させています。
2週間後にはユナイテッド航空がDC-8を30機発注、DC-8が受注数で先行します。1955年時点での受注はDC-8の方が多くなりましたが、1956年には707が逆転し、1957年末時点の受注数はDC-8が133機に対し707が150機となりました。1957~1961年にはDC-8が47機、707が172機の受注を集め、707が販売を伸ばしていきました。
707を導入した主な航空会社はアメリカン航空、TWA、コンチネンタル航空、エールフランス、サベナ・ベルギー航空、カンタス航空、エアインディア、ルフトハンザ航空等でした。
DC-8を導入した主な航空会社はユナイテッド航空、イースタン航空、デルタ航空、KLM、スカンジナビア航空、日本航空、トランスカナダ航空、アリタリア航空、ウエスタン航空等でした。
就航と派生型の開発
707量産初号機は1957年12月20日に初飛行し、1958年9月にFAA(連邦航空局)型式証明を得ました。707はアメリカ初のジェット旅客機であり、ジェット旅客機の安全基準がまだ無いので、707によって新しい安全基準を作りボーイング社内で検討の上でFAAに提案、それをFAAが検証する形でジェット旅客機の安全基準が作られて認証されました。
こうして1958年10月26日、ローンチカスタマーであるPAM AMのニューヨーク~パリ線で就航しました。最初に量産された基本型は707-120です。
ボーイング社では売り込みの為、各航空会社のニーズに合わせてカスタマイズを行いました。カンタス航空の長距離路線向けに707-138を開発。ブラニフ航空の南米ルートにおける高温高地での運用に対応し707-220を開発しています。各社のニーズに応える戦略によって707は販売を伸ばし、成功につながりました。
また、不足していた航続性能を向上する為、新設計の大きい主翼を備え、垂直尾翼・水平尾翼の面積を拡大、胴体を主翼の前で2m延長した改良型の707-320が開発され、1959年10月10日に初飛行しました。707-320は航続距離が延びたことで、無着陸での大西洋横断が可能になりました。
しかし、ボーイング707はダッチロールに陥る傾向がありました。ボーイングではマニュアルに従い適切に対応すれば問題ないとし、FAAもテストの上安全と判断しました。しかし、航空会社ではパイロットの技量にばらつきがあり、訓練中に複数の事故が発生しました。安定性の改善の為に改修工事が実施され方向舵の油圧を高め、垂直尾翼の高さを増し、後部胴体下部にフィンを取り付けています。
707の短距離型として720も登場しました。当初707-020として開発されていましたが、導入するユナイテッド航空は707ではなくDC-8を選んでいた為、広報の観点から707に戻るのではなく、新型機としたいユナイテッド航空への配慮から720となりました。胴体は2.54m短縮され、主翼付け根から内側エンジンの主翼前縁を延長して後退角を増し、クルーガーフラップが増設されました。機体規模の近いCV880への対抗の為に高速性能を重視した設計とされています。
ターボファンエンジン搭載型
初期型はターボジェットエンジンを搭載していましたが、燃費向上の為ターボファンエンジン搭載型の開発が行われました。-320をベースにロールスロイスコンウェイ(バイパス比0.5)を搭載した-420と、-120、-138、-320をベースにJT3D(バイパス比1.4)を搭載した-120B、-138B、-320Bが開発されました。
JT3D搭載型はエンジンの変更だけでなく、主翼等の改良による空力性能の向上も実施されています。-120Bと-138Bは主翼付け根から内側エンジンにかけての主翼前縁の延長、クルーガーフラップの増設、水平尾翼の延長、外側エンジンパイロンの形状変更が実施されました。-320Bは主翼端の0.9m延長し、付け根付近の主翼後縁形状変更、主翼前縁のドッグトゥース設置、クルーガーフラップの増設が実施されています。-120Bと-138B は改造機と新造機がありましたが、-320Bは全機が新造機で改造機はありません。燃費向上により航続距離が延び、-320Bの場合-320より航続距離が33%増加しています。
また、-320Bをベースに貨客転換型として-320Cが開発されました。-320Cは生産ラインの都合や機材統一の観点、リセールバリューの良さから販売の中心となり、707の後期生産機の多くを占め、707の生産数の1/3となる335機が製造されました。貨客転換型は後に727や747にも用意されましたが、旅客機としても貨物機としても余分な重量を抱え経済性に問題があり、生産の中心にはなりませんでした。
航空会社の要求に応える為、707には多くの設計変更が行われ、当初300機とされた損益分岐点が上がっていきましたが、ダグラス社に対抗し市場でのシェアを獲得する為には必要なことでした。
707の成功と現在
707は世界的に成功し、「600人の経営者が選んだ飛行機」と呼ばれました。1994年の生産終了までに1010機(720含む)が製造され、ボーイングのシェア拡大に貢献し、商業的成功を収めました。
707の後に登場したボーイング製ナローボディ旅客機の727、737、757の胴体は二重円弧断面を採用しています。客室部分の胴体断面は707と同じで、床下貨物室部分を小さくしたものとなっています。737は改良を重ね現在も生産が続けられており、707の設計は今も生き続けています。
707の旅客機としての運用は既に終了しましたが、現在はオメガエア社とアメリカをはじめ6か国の軍で現役で運用されています。
707の派生形一覧
707-120
JT3Cターボジェット搭載
最初に生産された基本型
707-120B
JT3Dターボファン搭載
-120ベース 主翼付け根から内側エンジンにかけての主翼前縁の延長・クルーガーフラップの設置・水平尾翼の延長・外側エンジンパイロンの形状変更
新造機と-120からの改造機が存在
707-138
JT3Cターボジェット搭載
カンタス航空向け長距離型 -120ベース 主翼前方で3フレーム、主翼後方で3フレーム短縮 胴体短縮による軽量化で航続距離を延長
707-138B
JT3Dターボファン搭載
-138に-120Bと同様の改良
新造機と-138からの改造機が存在
707-220
JT4Aターボジェット搭載
ブラニフ航空向け -120ベース 強力なエンジンを搭載し高温高地での運用に対応
707-320
JT4Aターボジェット搭載
新設計の大型主翼 拡大された水平尾翼と垂直尾翼 -120に対し胴体を主翼前方で2m延長
707-320B
JT3Dターボファン搭載
-320ベース 主翼端を0.9m延長・付け根付近の主翼後縁形状変更・主翼前縁のドッグトゥース設置・クルーガーフラップの増設
全機が新造機
707-320B/adv
JT3Dターボファン搭載
-320Cの空力特性改善を-320Bに反映
新造機と-320Bからの改造機が存在
707-320C
JT3Dターボファン搭載
-320Bベース 貨客転換型(床の強化・サイドカーゴドア設置・主翼後方に旅客ドアの増設) クルーガーフラップの更なる増設・空力特性が改善されたためフィンを廃止
707-420
ロールスロイスコンウェイターボファン搭載
-320ベース
720
JT3Cターボジェット搭載
短距離型 -120に対し胴体を主翼前方で1フレーム、主翼後方で4フレーム短縮 2.54m短い 主翼付け根から内側エンジンにかけての主翼前縁の延長・クルーガーフラップの増設
720B
JT3Dターボファン搭載
720ベース 水平尾翼の延長・外側エンジンパイロンの形状改良
新造機と720からの改造機が存在
様々な派生型があります。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は「ボーイング707」について解説しました。
ボーイング707の登場によりジェット旅客機の時代が本格的に幕を開けました。空の旅は大きく変わりました。そして、その設計は後のジェット旅客機の基本となっています。ボーイング707の功績は今日まで大きな影響を与えるもので、航空機の歴史においてもトップクラスに重要な機体であると言えます。
最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。
参考文献
ジェット旅客機進化論 浜田一穂 イカロス出版
ボーイング747を創った男たち クライヴ・アーヴィング 手島尚訳 講談社
旅客機発達物語 石川潤一 グリーンアロー出版社
世界の飛行機 リッカルド・ニッコリ 中田泉・石井克弥・梅原宏司訳 河出書房新社
世界の民間航空図鑑 アンドリアス・フェッカー 青木謙知日本語版監修 上原昌子訳 原書房
ザヒストリー航空機大百科 アンソニー・エバンス デービッド・ギボンズ 源田考監修・訳 NEWTON PRESS
747ジャンボ物語 杉江弘 JTBパブリッシング
Simple Flying The Story Of The Boeing 707: The Jet Age Aircraft Of Choice
Simple Flying How The Boeing 720 Got Its Name
Ultimate Boeing 707 Guide – Airlinercafe
Wikipedia英語版