初めて商業的に成功した蒸気船 ロバート・フルトンのクラーモント号

船舶
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こんにちは!今回は商業的成功を収めた初の蒸気船であるクラーモント号について解説します。蒸気機関の誕生以来、多くの技術者・発明家が蒸気船の開発に挑み、様々な実験が行われました。その中でも、初めて商業的に成功した蒸気船となったのがロバート・フルトンが設計した「クラーモント号」です。

フルトンと蒸気船

ロバート・フルトンは1765年、アメリカ・ペンシルベニア州で生まれました。フィラデルフィアで画家として働きながら、実験や発明を行っていました。蒸気機関に対しては、子供のころから興味を持っていました。

1786年、フルトンはイギリスへ移住。当時、運河建設が盛んなイギリスで運河工学を学び、浚渫機の特許取得や水門の改良を行いました。この頃から蒸気船のアイデアにも取り組んでおり、1793年には蒸気船の計画をアメリカ・イギリス両政府に提案しています。運河建設の先駆者であるフランシス・エガートンの下で働き、彼の蒸気タグボートの研究にも関わりました。

1797年、フルトンはフランスへ移住。この頃には発明家として有名になってきます。1800年にはフランス海軍向けに人力潜水艦ノーチラス号を製作しています。1801年に駐仏アメリカ大使ロバート・R・リヴィングストンと出会いました。2人は1803年、共同で試作蒸気船の実験をセーヌ川で行いました。そして、アメリカのハドソン川で蒸気船を運航することを計画しました。

1804年、フルトンはイギリスへ移住、イギリス海軍向けに発明を行いました。その後、1806年に帰国し、リヴィングストンの姪と結婚しました。リヴィングストンはハドソン川での蒸気船による運輸業の独占免許をニューヨーク州議会から得て、フルトンはイギリスからボールトン・アンド・ワット製の蒸気機関を取り寄せました。そして、彼らの蒸気船「クラーモント号」が建造されます。

試験航行

クラーモント号はニューヨークのチャールズ・ブラウン造船所で建造され、1807年8月17日に進水しました。船体は木造外板平張りで、全長46メートル、全幅3.7メートルと細長い船体でした。蒸気機関は船体中央に搭載され、両舷の8本スポークの外輪を駆動します。2本のマストを備え、帆走も可能でした。建造中のクラーモント号を見た人々は失敗するだろうと、「フルトンの愚挙」と呼びました。

試運転は招待客を集めた公開実験で行われ、始動直後にエンジンが停止するトラブルが発生しましたが、調整し再始動すると以降はトラブルなく航行しました。マンハッタンからオールバニーの240kmを往路は32時間、復路は30時間で航行しました。この航路は帆船では最長で6日かかっていました。

運用開始と改良

クラーモント号は試験後、2週間の間に旅客輸送に向けて改造が行われました。1807年9月4日より、マンハッタン~オールバニー間での定期旅客輸送を開始しました。土曜午後6時にマンハッタンを出港、水曜日午前8時にオールバニーを出港するダイヤで、途中ウエストポイント、ニューバーグ、ポキプシー、エソプス、ハドソンに寄港し、所要時間は36時間でした。冬期は川が凍結するため運休とされました。クラーモント号の運航は商業的成功を収め、その評判は広がっていきました。

1807年から1808年にかけての冬期運休中、安定性と居住性を向上させるための大改造が実施され、全面的に再構築されました。船体は拡幅され、操舵は船尾の舵柄からより前方に設置された舵輪に変更されました。また、水しぶきを抑える為、外輪の上部はカバーで覆われました。この全面的改修により全長は43mに短縮され、全幅は4.3mに広げられています。

事業拡大とフルトンの死

ハドソン川での蒸気船の運航は好調で、1809年に2隻目となる「カー・オブ・ネプチューン」、1811年には3隻目の「パラゴン」が就役しました。また、好評を受け多くの蒸気船の受注がフルトンに集まります。17隻を設計・建造し、さらに彼の設計を基に他の造船所で6隻が建造されました。

1813年2月26日、リヴィングストンが66歳で亡くなりました。その2年後の1815年2月24日、フルトンが49歳で亡くなりました。氷を踏み破りハドソン川に転落した友人のトーマス・アディス・エメットを救助する際、冷たい水に浸かったことで肺炎になり、肺結核を発症した為でした。

フルトンが設計した世界初の蒸気軍艦「デモロゴス」は建造が進められていましたが、フルトンはその完成を見届けることはできませんでした。「デモロゴス」の艦名はフルトンへの敬意を表し、「フルトン」に改名されました。「フルトン」の艦名はアメリカ海軍でその後も受け継がれていきました。

フルトンとリヴィングストンの死後、彼らが築いたハドソン川での蒸気船運航の独占体制は崩壊していき、多くの会社が参入、競合していきました。尚、クラーモント号はフルトンの生前の1814年に引退しており、その後の経歴は不明とされています。

レプリカ

ヘンリー・ハドソンによるハドソン川発見300周年とロバート・フルトンによる蒸気船商業運航開始100周年を記念し、1909年にクラーモント号の航行可能な実物大レプリカが建造されました。記念行事で使用された後は売却され、博物館船となりました。 

その後博物館船としては閉館しますが、状態を保つためのメンテナンスは続けられていました。しかし世界恐慌で所有していた会社の経営が悪化したことから維持が断念され、1936年に解体され現存しません。

アイキャッチ画像はこのレプリカの写真になります。

船名について

この船は現在ではクラーモント号として知られていますが、本当の船名は「ノース・リバー・スチームボート」で、後に「ノース・リバー」に短縮されています。

「クラーモント」の名はフルトンとリヴィングストンの友人であるキャドワラダー・D・コールデンが1817年に出版したフルトンの伝記が初出で、これが定着してしまったのです。クラーモントはハドソン川に面したリヴィングストンの屋敷の名前でした。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は「クラーモント号」について解説しました。

クラーモント号として知られる「ノース・リバー・スチーム・ボート」は、世界で初めて商業的に成功した蒸気船となり、蒸気船の時代を切り開きました。

最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。

参考文献

図説世界史を変えた50の船 イアン・グラハム 角敦子訳 原書房

図説船の歴史 庄司邦明 河出書房新社

Wikipedia日本語版・英語版

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