自動車界の妖怪一つ目小僧 三輪自動車「フジキャビン」 世界初のFRPモノコックボディ! 

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Kzaral, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, ウィキメディア・コモンズ経由で https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Motorcar_Museum_of_Japan_(4042114321).jpg

こんにちは!今回は1950年代のユニークな軽自動車・フジキャビンについて解説します。その外観はかなり個性的です。

富士自動車と富谷龍一

富士自動車は立川航空機の出身者が中心となって設立された会社です。1947年5月の設立当初は「日造木工」という社名でした。洋家具と自動車ボディの製造(当時の自動車ボディは木骨に鉄板をかぶせた構造)を行っていた同社は1948年、その技術から米軍の軍用車の修理や解体を行うことになり、「富士自動車」に社名を改めます。1953年に東京瓦斯電気工業(ガスデン)を吸収合併、エンジンの生産技術を持つようになりました。後に小松製作所に吸収合併されています。社名は似ていますが富士重工業(スバル)とは関係ありません。

フジキャビンの設計者、富谷龍一は日産出身で、住江製作所で軽自動車「フライングフェザー」を手掛けた後、富士自動車に移籍してきました。富士自動車でフライングフェザーと同様に「最大の仕事を最小の消費で」をモットーに小型軽量な自動車の設計に挑むことになります。

フジキャビンの構造

トヨタ博物館所蔵のフジキャビン後期型

フジキャビンは前二輪、後ろ一輪の三輪自動車で、車体には世界で初めてFRPモノコック構造を採用しました。当時、FRPは日本触媒が開発中の最新技術でした。FRPには鉄と比べ軽量で、造形の自由度が高く、錆びないといった利点があります。ボディは通常3層、強度が必要な部位は8層となっています。フロントの開口部はエンジンへの吸気口であると同時にモノコックボディのバックボーンの役割も果たしていました。

座席も車体モノコックの一部でフロアパネルと一体成型され、その上にクッションを乗せた構造となっています。助手席は運転席より20cm程後方にずらされており、重量分散と居住性・乗降性(前期型のドアは助手席側のみであった為)の確保がなされました。

車重はなんとわずか140kg(後期型150kg)で、大人一人で車体の端を持ち上げ、方向転換することも可能でした。前期型は助手席側にのみドアがありましたが、利便性の為後期型は運転席側にもドアが設けられました。

エンジンはガスデンの空冷2サイクル単気筒122ccで5.5馬力を発揮、ミッドシップに搭載し後輪を駆動するMR方式でした。トランスミッションは3速マニュアルで、クラッチペダルはなくシフトレバーは運転席の右側に設けられました。シフトレバーを左に倒すとクラッチが切れ、前に倒してギアを入れた後、右に戻すとクラッチがつながる仕組みになっています。最高速度は60km/hで、軽量なボディの恩恵でなんと40km/lの低燃費を誇りました。

試作車のハンドルはティラーハンドル(バーを左右に動かし操舵する)でしたが、量産車は一本スポークで下側が平たい変形丸ハンドルになりました。これらはドライバーの膝に干渉しない為の設計です。前述の通りシフトレバーでクラッチを操作する為、クラッチペダルはありませんが、その位置にキックスターターが設置されています。

ヘッドランプは1灯で、フロントの開口部と相まって「一つ目小僧」のように見えます。ステーを介して設置されたウインカーは前後から視認可能な構造でした。

フジキャビンの製造・販売

1955年の第二回全日本モーターショーで「メトロ125」として発表され注目を集めます。翌1956年より「フジキャビン」の名で販売を開始しました。価格は23万円5000円でした。カタログには宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」が用いられ、雨風に強いことをアピールしました。

しかし販売後にいくつかの問題点が浮上します。車内は換気が悪いため夏は暑く、ヒーターがないため冬は寒く居住性に問題がありました。当時の日本の道路事情ではFRPボディの強度に問題があり、クラックが発生することもありました。また、積層工法の生産効率が悪く大量生産が難しいという問題も抱えていました。

フジキャビンは1957年、85台で生産終了しました。

錆びないFRPボディということもあって現存車は生産台数の割に多く、なんと10台程が現存しています。トヨタ博物館、日本自動車博物館で展示されており、希少な実車を見ることができます。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は「フジキャビン」について解説しました。

「最大の仕事を最小の消費で」をモットーに開発されたフジキャビンは、140kgの軽量な車体ながら2人が乗ることができ、燃費も良好でした。しかし世界初のFRPモノコック構造を採用した車体はクラックの発生や生産効率の問題に悩まされました。生産された85台のうち、10台程が現存し、日本自動車博物館やトヨタ博物館で実車を見ることができます。

最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。

参考文献

懐かしの軽自動車 中沖満 グランプリ出版

60年代街角で見たクルマたち 日本車・珍車編 浅井貞彦・高島鎮夫 三樹書房

フジキャビンのカタログ

フジキャビン 5A型 車両データーベース アーカイブズ トヨタ博物館

フジキャビン(1956年1月~1957年1月) トヨタ自動車のクルマ情報サイト-GAZOO

一度見たら忘れ無い一つ目小僧です フジ キャビン,1957年式(昭和32年)-日本自動車博物館|乗りもののまち小松

富士自動車「フジキャビン」とは?生産台数85台!歴史に消えた幻の車|MOBY

可愛い一つ目小僧「フジキャビン」って知ってる?|CarMe by 車選びドットコム

特徴的なクラッチを持つフジキャビン Car&レジャーWeb

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