ゴールデンエクスプレスアストル 電車と併結可能! 団体列車に特急代走と幅広い活躍

鉄道
spaceaero2, CC BY-SA 3.0 , ウィキメディア・コモンズ経由で https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kiro65_ASTRE.jpg

こんにちは!今回は「ゴールデンエクスプレスアストル」について解説します。80年代後半から20年近く活躍した車両で、懐かしい方も多いと思います。長い名前ですが、この愛称は一般公募で決まったそうです。

「ゆぅトピア」と「ゴールデンエクスプレスアストル」

1986年に登場したキハ65形改造車「ゆぅトピア」は休日運転の臨時特急「ゆぅトピア和倉」の運用に加えて、豪華な車内設備を生かして平日には団体列車としても活躍していました。しかし、「ゆぅトピア和倉」に充当できる予備車が無い上、団体列車の設定が「ゆぅトピア和倉」の運転が無い日に限られるという問題がありました。当時は団体旅行が多く、団体列車の需要も大きかったのでしょう。

そこで、団体列車専用として運用でき、「ゆぅトピア」の検査時には「ゆぅトピア和倉」の代走が可能な車両として「ゴールデンエクスプレスアストル」が登場しました。全車グリーン車の3両編成です。中間車が1987年12月23日に先行して落成し、「ゆぅトピア」や他の気動車に組み込まれて団体列車に用いられました。その後、1988年3月18日に両先頭車も落成、1988年3月25日に編成での営業運転を開始しました。初の運用は「夢半島のとキャンペーン」の第一弾として金沢~珠洲間での運転でした。

「ゴールデンエクスプレスアストル」の登場で予備車が確保されたことから、1988年3月13日ダイヤ改正で「ゆぅトピア和倉」は臨時列車扱いのまま毎日運転となりました。

「ゴールデンエクスプレスアストル」の編成

「ゴールデンエクスプレスアストル」の種車は両先頭車がキハ65形、中間車がキハ28形でした。全車グリーン車で編成はキロ65 551-キロ29 552-キロ65 1551となっています。

「ゆぅトピア」と同仕様の両先頭車

「ゆぅトピア和倉」代走時は「ゆぅトピア」と同じ2両編成を組むため、両先頭車は基本的に「ゆぅトピア」に準じた仕様となっています。

車体は前方7mを切断し、新造した展望室の構体と接合されました。展望室のデザインはマイナーチェンジされ、前面窓が「ゆぅトピア」では平面ガラス6枚だったのが平面ガラス2枚となり、側窓も「ゆぅトピア」の平面ガラスに対して曲面ガラスを採用しました。

展望室は床を600mm高くしたハイデッカーで、運転席越しの前面展望を楽しむことができました。乗客が自由に利用できるラウンジとされ、キロ65 551は回転椅子2席とソファー6席、キロ65 1551は回転椅子8席が設置されました。客室も座席部分を通路より110mm高くしたハイデッカーとなり、客室窓は固定窓になりました。2+2配置・シートピッチ1100mmで回転式リクライニングシートが配置されました。両先頭車の定員は共に36名となっています。

種車のキハ65はキハ58系との混結を前提に設計された為トイレ・洗面所を持ちませんでしたが、キハ65だけの編成を組む為、キロ65 551にトイレ・洗面所を設置しました。キロ65 1551には車内販売準備室・公衆電話が設置されました。

両先頭車は「ゆぅトピア和倉」代走の為、485系に牽引されての120km/h運転とブレーキ協調が可能なように改造されました。連結器も電車と同じ密着連結器を備えています。

サロンを備えた中間車

中間車は急行「能登路」向けに1980年7月、転換クロスシートを備え、ビデオ上映を行う「ロマンスカー」に改造されていた車両を再改造したものでした。

車内は前位側半室をサロン、後位側半室を客室としています。サロンはカーペット敷きでソファーとテーブルが設置されていますが、取り外して座敷やイベントスペースとすることも可能でした。客室は床を200mm高くしたハイデッカー構造で、車外から床下スペースにスキーを収納できるように改造されています。また、乗降扉はすべて埋められました。

連結器は両先頭車およびゆぅトピアと連結する為の密着連結器と他の気動車と連結する為の小型密着自動連結器の両方が使用できました。ゆぅトピア代走時には連結されない為、485系との併結運転には対応していません。

運用・リニューアル

日本語版ウィキペディアの特急ソニックさん, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, ウィキメディア・コモンズ経由で
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:JRW_Golden_Express_Astre_20060925.jpg
リニューアルされ、塗装が変更された「ゴールデンエクスプレスアストル」 中間車は差し替えられた

「ゴールデンエクスプレスアストル」と485系の併結運転は「ゆぅトピア和倉」だけでなく、臨時特急「ユートピア高山」(ゆぅトピアではなくユートピア)でも行われました。大阪~富山間は485系雷鳥に牽引され、富山~高山間を自走しました。

1991年9月1日、七尾線電化に伴い「ゆぅトピア和倉」は廃止され、「ゆぅトピア」も団体列車用となりました。しかし、エンジン故障により「ゆぅトピア」は1995年3月31日に廃車されています。

1998年3月、「ゴールデンエクスプレスアストル」はリニューアルを受け、塗装が変更されました。老朽化の進んでいたキロ29 552は廃車され、新たにキロ28形を種車に同様の改造を施したキロ29 554が連結されました。

「ゴールデンエクスプレスアストル」は2006年11月26日、臨時快速「ありがとうアストル号」(金沢~猪谷)をもって引退、2007年3月9日付けで廃車されました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は「ゴールデンエクスプレスアストル」について解説しました。

「ゆぅトピア」を支える為、同車に準じた仕様で製造された「ゴールデンエクスプレスアストル」でしたが、故障で短命に終わった「ゆぅトピア」に対し、「ゴールデンエクスプレスアストル」はリニューアルを受けて長きにわたり活躍しました。乗車された方も多いのではないでしょうか。団体列車、公衆電話、スキーといった言葉に時代を感じますね。

最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。

参考文献

日本のパノラマ展望車 徳田耕一 JTBパブリッシング

ジョイフルトレイン図鑑 小賀野実 JTBパブリッシング

Wikipedia

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