こんにちは!今回はマツダ「ロードペーサー」について解説します。「ロードペーサー」はマツダの最高級車として登場しましたが、生産台数は僅か800台でした。
オーストラリアのメーカーと提携し最高級車を開発
1970年代前半、ショーファードリブンの最高級車市場は日産「プレジデント」とトヨタ「センチュリー」が占めていました。
この市場にいすゞ、三菱、マツダの3社が参入を図りますが、販売台数の限られる市場である為、自社開発は開発費や設備投資を考えると現実的ではありませんでした。そこで、日本と同じ右ハンドルであるオーストラリアのメーカーと提携し、フェンダーミラー化等の日本の法規に対応する改良をしたうえで輸入することとしました。
こうして発売された3社の最高級車のうち、いすゞ「ステーツマン・デ・ビル」(ホールデン)と三菱「クライスラー318」(クライスラー・オーストラリア)はオーストラリアから丸ごと輸入されていたのに対し、マツダは輸入した車体に自社のロータリーエンジンを搭載し、トランスミッションも国産のものを搭載したのが特徴です。車名もいすゞ、三菱が輸入元の車名そのままだったのに対し、マツダは「道路の王様」を意味する「ロードペーサー」の名を与えました。
ベース車ホールデン「プレミア」
マツダが提携したのはGM系のホールデン社で、「ロードペーサー」は同社の「プレミア」がベースです。「プレミア」は日本では最高級の大型車となる車格ですが、オーストラリアやアメリカではインターミディエート(中型車)に分類されており、高級車として開発された車ではありませんでした。
その為、内外装デザインは豪華ではなく、車格の割に後部座席は広くありませんでした。静粛性対策も高級車としては不十分でした。「センチュリー」や「プレジデント」は勿論、1クラス下の「クラウン」、「セドリック」と比べても高級車らしさは薄かったのです。
ロードペーサーの設計
「ロードペーサー」は前述の通り、ホールデン「プレミア」にマツダのロータリーエンジンと国産トランスミッションを組み合わせ、日本の法規に合わせた変更を行ったモデルです。正式な車名はマツダが当時公害対策車に付けていたAP(Anti Pollutionの略、反汚染の意味)を付けた「ロードペーサーAP」です。
エンジンは当時のマツダで最強のエンジンであった13B型ロータリーエンジンを搭載、654cc×2で135馬力を発揮しました。トランスミッションは日本自動変速機(ジヤトコ)製の3速オートマのみの設定で、MT車の設定はありませんでした。13B型はマツダで最強のエンジンとはいえ、本来大排気量の直6かV8が載る「プレミア」の車体に見合ったものではありません。ロードペーサーに搭載された13B型は中低速トルクを太らせた仕様となっており、ルーチェに搭載された13B型と比較して最大出力を発揮する回転数は500rpm低く、最大トルクは0.7kg・m太くなっていましたが、それでも尚低速トルクの不足に悩まされました。低速トルク不足の為に高回転で走ることになり、燃費はライバルと比べ悪くなりました。
グレードはモノグレードとされましたが、前席がセパレートシートの5人乗りと前席がベンチシートの6人乗りのバリエーションはありました。どちらもコラムシフト仕様となっています。
高級車にふさわしく、マルチタイプエアコン、パワーステアリング、パワーウィンドウ、パワードアロック、電動リモコンフェンダーミラー、トランクオープナー、カセット付きAM/FMラジオといった当時の豪華装備を標準装備しています。
ベースの「プレミア」は高級車ではありませんでしたが、マツダは開発に当たり高級感をできるだけ高めようとしました。しかし、それには限界がありました。
販売
「ロードペーサー」は1975年3月に発表、翌月に発売されました。
ロータリーエンジン用の公害対策システム「REAPS」により、日本版マスキー法と呼ばれた昭和50年排ガス規制に3ナンバー車として初めて対応しました。低公害車として官公庁の公用車としても採用されました。発売当初、「ロードペーサー」の販売台数は「プレジデント」には及びませんでしたが、「センチュリー」を上回る好調さを見せます。
1975年10月には公害対策システム「REAPS」を発売当初の「REAPS3」から「REAPS5」に変更しました。「REAPS5」により昭和51年排ガス規制に対応し、燃費性能も改善しました。
1977年8月にはマイナーチェンジを受けました。フロントグリルのデザイン、スピードメーターが横長メーターから丸型メーターにといった変更がなされました。
しかし、「ロードペーサー」の販売価格は販売価格は368~371万円で、ライバルの「センチュリー」の317.6~342万円、「プレジデント」の332.8~407.8万円と比べ高価でした。
また、マツダのラインナップで同車に次いで高額な「ルーチェ」の最上級グレードの2倍以上で、マツダの販売網にとって扱いに慣れない価格帯である為に顧客層への営業力が無く、さばきずらかったのです。
前述した性能上の欠点と価格、販売網の問題で販売は低迷し、「ロードペーサー」は1代限りで姿を消しました。
生産は1975年491台、1976年183台、1977年126台の累計800台で終了しましたが、1979年まで在庫販売がなされました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回はマツダ「ロードペーサー」について解説しました。
マツダの最高級車として登場した「ロードペーサー」は、オーストラリア車にロータリーエンジンを組み合わせて生まれました。しかし、エンジン性能が車体に見合わず、パワー不足に悩まされます。性能の問題に加え、価格や販売網の問題もあり、販売は伸びず僅か800台の生産に終わりました。そして、1世代限りで姿を消しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。
参考文献
懐かしの国産車 渡部素次 三樹書房
ロードペーサー(1975年1月~1979年1月)|トヨタ自動車のクルマ情報サイト-GAZOO
豪州車の大型ボディに日本のエンジン|マツダ ロードペーサーAP,1975年式(昭和50年) – 日本自動車博物館|乗りもののまち小松
ロードペーサー|名車文化研究所
威風堂々 豪州で開発された「マツダ・ロードペーサーAP」|朝日新聞デジタルマガジン&[and]
マツダ車だけどマツダ車じゃない!? 激レアなロータリー車「ロードペーサーAP」|ドライバーWeb|クルマ好きの”知りたい”がここに
【知られざるクルマ】Vol.19 ロードペーサー、ステーツマン・デ・ビル、三菱クライスラー……豪州生まれの”規格外な日本車”とそのベースたち – CARSMEET WEB|自動車情報サイト
「日豪混血プレステージサルーン」マツダ・ロードペーサーAP(1975~1977)【これっきりですカー】- webCG
Wikipedia