三菱・デボネア(初代) 走るシーラカンスと呼ばれた三菱重役専用車

自動車
Jimbo 2006, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で https://commons.wikimedia.org/wiki/File:MITSUBISHI_DEBONAIR_1ST.JPG

こんにちは!今回は「三菱・デボネア」について解説します。

三菱、高級車に参入

1960年代前半、新三菱重工業(当時)は大衆車の「コルト」シリーズと軽の「ミニカ」をラインナップしていました。当時、ラインナップの空白を埋める高級車市場への参入について社内では、早急に行うべしとする意見と時期尚早であるとする意見があり、賛否が分かれていました。

そのような状況下で三菱商事からフィアット1800/2100のライセンス生産の話があり、実現目前まで行きました。しかし、同時に新三菱重工業社内の別部門から別の技術提携の申請があり、通産省はどちらか一つしか認可しないとしたことで、ライセンス生産計画は頓挫します。こうして、高級車は自社開発することになりました。

三菱の高級車は1963年10~11月の第10回全日本自動車ショーで「コルト・デボネア」として展示され、1964年7月に「デボネア」として発売されました。発売の前月、戦後にGHQの財閥解体で3社に分割されていた三菱日本重工業・新三菱重工業・三菱造船が再合併し、三菱重工業が復活しました。

発売当時、「デボネア」と同クラスの国産車にはトヨタ「クラウン」(2代目)、日産「セドリック」(初代)、プリンス「グロリア」(2代目)、いすゞ「ベレル」がありました。

デボネアの設計

当時、三菱には自動車デザインの十分なノウハウがありませんでした。そこで、元GMデザイナーのハンス・ブレッツナーに依頼しました。

ブレッツナーは5ナンバーサイズの上限である全幅1700mmの制限内でデザインをまとめることに苦戦し、5ナンバー枠を「天下の悪法だ」とまで言いました。しかし、完成したデボネアは実寸以上に大きく見せるデザインを実現しました。ブレッツナーは車名として「デボネア」と「マーキス」を提案し、社長が「デボネア」を選びました。

搭載されるKE64型エンジンは新開発の2.0L直列6気筒OHV、ツインキャブ、デュアルエキゾーストで最高出力105馬力/5000rpm、最大トルク16.5kg・m/3400rpmを発揮、クラス最高の性能を発揮しました。日本初のナイロン製冷却ファンを採用しています。これに3速+オーバードライブの4速MTを組み合わせています。最高速度は155km/h、ゼロヨンは19.2秒でした。

当時のライバルで「デボネア」と同様に2.0L直列6気筒を搭載していたのは「グロリア」のみでした。「ベレル」が2.0L直列四気筒、「クラウン」と「セドリック」は1.9L直列四気筒でした。

最高級仕様のみのモノグレードで、クラウンやセドリックのような廉価グレードは設定されませんでした。個人ユーザーやタクシーの需要は意識せず、オーナーを後席に乗せお抱え運転手が運転するショーファードリブンを想定していたのです。

価格は125万円で、クラウンデラックスの105万円、セドリック1900デラックスの103万円と比べ高価でした。オプションとしてはエアコン15万円、フルリクライニングシート2万円等が設定されています。

22年間フルモデルチェンジなし

初代「デボネア」は改良を重ねつつ生産が継続されました。フルモデルチェンジは22年にわたり行われませんでした。時を経ても変わらない姿を古代魚のシーラカンスになぞらえて「走るシーラカンス」と呼ばれました。

1965年4月 「パワー仕様」が追加されました。ボルグワーナー製3速ATを搭載し、パワーウインドウ、パワーステアリングを装備しています。

1969年 フロントディスクブレーキが標準化され、テールエンドフィニッシャーが廃止されました。

1970年 三菱重工業の自動車部門が独立、三菱自動車工業となりました。

1970年 マイナーチェンジを受け、搭載エンジンが6G34型「サターン6」2.0L直列6気筒SOHC、130馬力に変更されました。

1973年 マイナーチェンジを受け、三角窓を廃止、フロントウインカー位置の変更、テールランプデザインの変更がなされました。

1976年 マイナーチェンジを受け、エンジンをG54B型2.6L直列4気筒SOHC、120馬力に変更し全車3ナンバーとなりました。

1979年 アンチスキッドブレーキ(ABS)をオプション設定しました。

1986年 生産を終了し、モデルチェンジし2代目となりました。

「デボネア」は三菱の最高級車として、三菱グループの重役専用車として用いられました。

22年間の生産台数は2万1703台でした。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は「三菱デボネア」について解説しました。

三菱の最高級車として登場した「デボネア」は、異例となる22年モデルチェンジ無しでの販売となりました。「走るシーラカンス」の呼び名は、姿を変えず走り続けた「デボネア」をよく表していますね。

最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。

参考文献

懐かしの国産車 渡部素次 三樹書房

デボネア(1964)|三菱カーデザインの軌跡

デボネア|名車文化研究所

デボネア(1964年1月~1986年1月)|トヨタ自動車のクルマ情報サイト-GAZOO

走るシーラカンスと呼ばれる/三菱 デボネア エグゼクティブ,1970年式(昭和45年) – 日本自動車博物館|乗りもののまち 小松

三菱・デボネア(昭和39/1964年6月発売・A30型)【昭和の名車完全版ダイジェスト021】- Webモーターマガジン

三菱デボネア誕生60周年。知られざる命名のエピソード|ドライバーWeb|クルマ好きの”知りたい”がここに

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誰が呼んだか「走るシーラカンス」! 22年間もフルモデルチェンジをしなかった三菱デボネア WEB CARTOP

Wikipedia

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