こんにちは!今回は「マウントカー」について解説します。今も噴火を繰り返す阿蘇山。東西のロープウェイを結び、活火山の火口近くを走るバスはどんな特別仕様だったのでしょうか。
東西のロープウェイ駅を結ぶ
1964年、阿蘇山の東側に仙酔峡ロープウェイ(仙酔峡駅~火口東駅)が開業しました。1965年9月、九州産業交通は仙酔峡ロープウェイと1958年に開業していた阿蘇山の西側の阿蘇山ロープウェー(阿蘇山西駅~火口西駅)を結ぶ専用道路経由のバスの運行を開始しました。東西のロープウェイ2路線とバスを合わせた観光ルートは「阿蘇ハイライン」と名付けられました。当時は全国的に観光旅行が増加していた時期です。
この為に設計された専用バスが「マウントカー」です。
マウントカーの設計
マウントカーは前輪1軸・後輪2軸の全軸駆動で、三菱のトラックシャーシ6W100に西日本車体のボディを架装しています。トラック用シャーシの為、エンジンはリアではなくフロントに搭載され、キャブオーバーバスとなりました。
火口付近を走る為、火山弾に備えて天井・窓ガラスは2重とされました。側窓はガラスの破損防止用に丸い小窓を開けた鉄板で覆われました。
その後の増備車は三菱のリアエンジンバスシャーシとなり、前輪1軸・後輪1軸の全軸駆動となりました。ボディは同じく西日本車体のボディを架装しています。1969年導入分のシャーシはB800K、1977年導入分のシャーシはMP117Mでした。
運行終了とその後
マウントカーは観光客に大好評でした。しかし、1970年代後半には阿蘇山の活動が活発になり、1979年9月6日の阿蘇山の爆発的噴火が起こりました。その後も火山活動は収まりを見せず、安全上の問題から1980年に路線は廃止されました。東西のロープウェイを結ぶマウントカーが廃止されたことは、東側にある仙酔峡ロープウェイにとってはかなりの痛手となりました。
MP117Mは一般車へ改造され、中ドアを増設、窓の覆いは撤去されました。
阿蘇山周辺の町は観光で成り立っている為、2004年には阿蘇中部3町村合併協議会が専用道路跡を活用し、マウントカー運行の復活を計画しました。合併で生まれた阿蘇市に計画は引き継がれましたが、実現しませんでした。
その後、阿蘇ハイラインを構成していた仙酔峡ロープウェイは2010年より運休となり2019年に廃止されました。また、阿蘇山ロープウェーも2014年より運休し2019年に廃止されました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は「マウントカー」について解説しました。
阿蘇山火口の東西を結ぶ路線用に開発されたマウントカーは、高い防御力と走破性を備えた特別仕様のバスでした。1979年の爆発的噴火発生後は安全性に疑問が生じ、姿を消しました。車両は一般車に改造されたものを含め現存せず、阿蘇ハイラインを構成していたロープウェイ2路線も廃止・撤去となりましたが、専用道路の跡は当時を偲ばせています。
当時、阿蘇ハイラインでマウントカーに乗車された方も多いのではないでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。
参考文献
新版日本のバス年代記
阿蘇ハイライン パンフレット
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