民営化で幕を開けたJR東海の近鉄への挑戦 快速「みえ」の歴史

鉄道
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こんにちは!今回は快速「みえ」について解説します。名古屋~鳥羽間を第三セクター伊勢鉄道を経由し、近鉄特急並みの所要時間で結ぶ快速「みえ」の歴史は、国鉄分割民営化とともに始まったJR東海による近鉄への挑戦の歴史でした。

国鉄を圧倒していた近鉄

1959年11月27日に近鉄名古屋線が標準軌化され、伊勢中川での乗り換えが不要になると、伊勢方面の乗客は国鉄から近鉄に流出しました。

1966年3月10日、国鉄は蒸気機関車牽引の快速列車を格上げ、気動車化し急行「いすず」2往復を設定しましたが、近鉄との競争に勝てず、2年後の1968年10月に廃止されています。

三重への短絡ルート国鉄伊勢線の開業と第三セクター化

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名古屋~伊勢方面のJRと近鉄の路線図

国鉄で名古屋から津、松阪、伊勢方面に向かうには関西本線と紀勢本線の分岐点である亀山を経由する必要がありました。しかも、亀山駅ではスイッチバックも必要で、近鉄名古屋線と比較して遠回りでした。

そこで、関西本線川原田駅と紀勢本線津駅をショートカットする国鉄伊勢線が1965年11月より建設され、1973年9月1日に開業しました。特急や一部の急行が伊勢線経由になった他、普通列車も設定されました。伊勢線は単線非電化でしたが、大半の区間が高架や盛り土で高速運転に対応しており、将来の複線化・電化を見越した用地が確保されていました。

特急列車の通る重要な路線でありながら、伊勢線は輸送密度の低さから1984年6月22日に第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化直前の1987年3月27日に第三セクター伊勢鉄道に転換されました。第三セクター転換以降も現在に至るまで特急「南紀」は伊勢線を経由しています。

国鉄分割民営化と「ホームライナーみえ」

国鉄分割民営化に伴い発足したJR東海は、自社の有する在来線の活性化策を進めます。その一環で1988年7月1日、名古屋~伊勢市(伊勢鉄道経由)に「ホームライナーみえ」の運転が始まりました。

下りは名古屋22時2分発・伊勢市23時48分着、上りは伊勢市5時37分発・名古屋7時30分着のダイヤで、下りは土曜運休・上りは日曜運休とされました。車両は特急型気動車キハ80系で、特急南紀の間合い運用でした。「ホームライナーみえ」新幹線と接続し、JRで首都圏と三重を結ぶことを売りにしていました。

この「ホームライナーみえ」は快速「みえ」の登場する1990年3月10日ダイヤ改正まで運転されました。

快速みえの誕生

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キハ58・65の快速「みえ」 名古屋駅にて

1990年3月10日のダイヤ改正で快速「みえ」が登場します。9往復が設定され、名古屋~松阪間8往復、名古屋~紀伊勝浦間1往復(全列車伊勢鉄道経由)とされました。日中に毎時1往復運転で名古屋発は9時~17時台、毎時6分発(16・17時台は毎時0分発)となっています。紀伊勝浦発着便は線路容量の関係から南紀1往復を格下げした為に設定され、名古屋11時6分発、熊野~紀伊勝浦間は各駅停車、新宮~紀伊勝浦間は全車自由席とされました。土休日には2往復(名古屋発9・10時台)に鳥羽行きの増結編成が連結されました。

車両はキハ58・65を使用、名古屋方にキハ58、松阪方にキハ65を連結した2両編成5本を用意。同ダイヤ改正で急行「のりくら」が格上げされ、特急「ひだ」に統合されたことに伴う余剰車を活用したものです。国鉄色からアイボリーにオレンジのラインを入れた専用塗装に塗り替えられ、座席はボックスシートのままですが、モケットが変更され明るい印象になりました。「みえ」専用のヘッドマークも取り付けられました。また、臨時列車や増結車には国鉄色のキハ58・65が用いられました。

最高速度95km/h運転で、基本の停車駅は名古屋・桑名・四日市・津・松阪とされました。新幹線乗り継ぎ客向けに1号車の半分を指定席とし、乗り換えの利便性を確保する為、名古屋駅の発着を新幹線ホームに近い12・13番線としました。第3セクターの伊勢鉄道(旧国鉄伊勢線)を経由する為、四日市以遠では運賃が近鉄より高くなりますが、特急料金が必要な近鉄特急よりは2割以上安く利用できました。また、企画商品として割引切符が設定され、「みえ往復割引きっぷ」では近鉄特急より4割安く利用できました。

複線・電車の近鉄に対し、JR東海及び伊勢鉄道は名古屋~松阪間の8割が単線で、川原田駅以遠は非電化区間となる為、気動車での運転と不利な条件に置かれていました。しかし、その中で近鉄に対抗するべくダイヤが作成されました。名古屋~松阪の所要時間は、新宮・紀伊勝浦行きの特急南紀が鈴鹿駅に全列車が停車して最速76分なのに対し、快速みえは鈴鹿駅を全列車が通過し最速72分で結び、特急よりも早い快速となりました。名古屋~四日市間には普通列車が毎時2往復、貨物列車が毎時1~2往復運転されていましたが、それらの影響を受けないよう、ダイヤが快速みえ中心に再編されています。 

また、ユニークな試みとしてみえの車内で当日分の新幹線、在来線の指定席発券サービスが行われました。当時まだ珍しかったNTTの携帯電話を利用し、車掌が名古屋の販売センターに連絡して座席を確保し、車内補完券で発券するというものでした。

「みえ」の登場に対して、近鉄も1990年3月15日のダイヤ改正で伊勢中川止まりの急行を松阪に延伸、名古屋~松阪乗り換えなしの急行を毎時2本として、利便性を向上しています。

1991年1月2~6日には、正月輸送にキハ80系リゾートライナー編成を用いた快速「リゾートライナー伊勢初詣」1往復が運転されました。全席グリーン車で、松阪までは「みえ」に併結し運転されました。同列車は1994年の正月まで設定されています。

スピードと快適性を向上した改造車キハ58・65 5000番台

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キハ58・65 5000番台の快速「みえ」 名古屋駅にて 後方に新幹線ホームが見える

ダイヤ改正を前にした1991年1月、快速みえ用に改造車キハ58・65 5000番台が登場します。キハ58はエンジンをキハ85と同じカミンズエンジンに換装し、台車をキハ80系の廃車発生品に交換しました。キハ65は元々高出力のエンジンを搭載している為、エンジンはそのまま、台車枠を延長リンク形軸箱支持機構からウイングばね式軸箱支持機構に変更しました。これにより110km/h運転が可能となっています。座席は0系新幹線の廃車発生品のリクライニングシートが装備され、ボックスシートの従来車より快適性が大幅に向上しました。5000番台は2両編成3本が用意されます。

1991年3月16日のダイヤ改正で快速「みえ」は3往復増発され、12往復体制となりました。5000番台は速達便に投入され、名古屋~松阪間を最速66分で結びました。伊勢市、鳥羽行きの列車も登場し名古屋~松阪5往復、名古屋~伊勢市3往復、名古屋~鳥羽3往復、名古屋~紀伊勝浦1往復の設定となります。名古屋発は9~20時台、毎時10分発(17・20時台11分発)となりました。また、休日運転の臨時列車としてみえ51・52号が設定されました。

1992年3月14日のダイヤ改正では編成の向きが名古屋方にキハ65、松阪方にキハ58と変更され、名古屋発の時刻は9時~20時台毎時00分に改められています。同ダイヤ改正で特急「南紀」がキハ85系に置き換えられたのと同時に、快速「みえ」の紀伊勝浦行きの設定は無くなりました。また、休日運転の51・52号には「ナイスホリデーみえ」の列車名が付けられました。

設備改良による高速化

みえの高速化の為、地上設備の改良が進められました。最高速度の向上や複線化・信号所の設置による列車交換時間の短縮がなされています。

関西本線では1993年7月24日に富田浜~四日市間4.2kmが複線化され、1993年8月1日に八田~蟹江間に春田信号所(のち春田駅に)、永和~弥富館に白鳥信号所を設置しました。

伊勢鉄道では1993年3月7日に河原田~玉垣間、1993年7月4日には玉垣~中瀬古間が複線化され、河原田~中瀬古間の合わせて12.7kmを複線としました。また、伊勢鉄道にJR東海と同じATS-ST、列車無線を導入しています。伊勢鉄道の最高速度は1990年8月1日に85km/hから95km/hへ、1991年3月16日に95km/hから110km/hに引き上げられました。

参宮線の地上設備を改良も実施され、最高速度は95km/hから100km/hに向上しました。。

新型車キハ75の登場

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キハ75系の快速みえ 伊勢市駅にて

1993年8月1日、快速みえ用の新型車キハ75が登場しました。キハ75はカミンズエンジンを2基搭載し、最高速度120km/h運転が可能でした。311系電車に準じた3ドア転換クロスシート車で、また、快速では異例となる車内公衆電話も設置されました。運転区間も延長され、朝の上り3本、夕方の下り4本は名古屋~伊勢市間、他は名古屋~鳥羽間での運転となりました。

キハ75にはヘッドマークの取り付けは行われず、キハ58・65のヘッドマーク取り付けもキハ75の登場に伴い行われなくなりました。名古屋~鳥羽間の所要時間はキハ75(最高速度120km/h)で最速98分、キハ58・65-5000(最高速度110km/h)で最速99分、キハ58・65(最高速度95km/h)で最速111分となりました。キハ75の最速列車の名古屋~鳥羽間の表定速度は76.8km/hに達しました。

このダイヤ改正では、1991年11月20日の近鉄の運賃値上げを受け、割引切符を廃止しています。

1994年12月3日には定期列車がキハ75に統一され、キハ58・65は予備車となりました。このとき、名古屋発9時~20時台毎時10分に戻りました。また、「ナイスホリデーみえ」を「みえ」に統合しています。

1999年12月4日にはキハ75の2次車が増備されました。2次車によってキハ75は快速みえ以外にも運用を拡大し、快速みえの増結や臨時列車設定にも用いられるようになりました。また、JR東海は2001年までにキハ58・65を全廃しました。

その後の快速「みえ」の歩み

2003年10月1日のダイヤ改正では名古屋発9時~20時台毎時30分に改められ、近鉄特急の隙間を埋める形となりました。

2005年10月1日より、「1人でも!2人でも!4人でも!往復でも、片道でも利用OK!」のキャッチコピーで、「快速みえ得ダネ4回数券」が発売されました。4枚セットで有効期限1か月、約40%引きとなっています。指定席料金を払えば指定の利用も可能で、特急料金を払えば特急「南紀」にも乗車できます。この切符は2024年現在も発売されています。

2009年3月14日のダイヤ改正では名古屋~亀山間に快速を設定、普通列車を増発し、名古屋~四日市は快速みえを含め毎時快速2往復、普通2往復のダイヤとし、利便性を向上しています。この時、「みえ」は毎時35分発となりました。

2011年3月12日のダイヤ改正で「みえ」の名古屋発が毎時37分となると同時に全列車が4両編成化されましたが、2014年12月1日には4往復を除き2両編成に戻っています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は快速「みえ」について解説しました。

国鉄時代、名古屋から伊勢方面への輸送では近鉄が圧倒していました。民営化後、JR東海は快速「みえ」を設定、特急料金不要の安さと車両・路線双方の改良による高速化で近鉄に対抗しました。何度もサービスの改良・工場を重ねて競合するライバル社に挑む姿は、利用客にとっても嬉しいことですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。

参考文献

東海の快速列車 117系栄光の物語 徳田耕一・須田寬 JTBパブリッシング 「伊勢路で頑張る韋駄天列車 快速「みえ」ど根性物語」

快速みえ|スポット・体験|伊勢志摩観光ナビ・伊勢志摩観光コンベンション機構公式サイト

伊勢鉄道が「国鉄伊勢線」として開業した日 紀勢本線の”短絡線”の不遇 -1973.9.1|乗りものニュース

三重県|三重の交通機関の魅力(伊勢鉄道)

伊勢鉄道株式会社-観光スポット-【公式】すずかし観光ガイド さぁ、きっともっと鈴鹿。海あり、山あり、匠の技あり

快速みえ特ダネ4回数券|お得なきっぷ詳細情報|JR東海

快速みえ特ダネ4回数券について 伊勢鉄道

Wikipedia

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