こんにちは!今回は「サロンカーなにわ」について解説します。
東のサロンエクスプレス東京、西のサロンカーなにわ
1980年代前半、これまでのお座敷列車より若年層向けの団体列車用車両が登場します。その車両はお座敷列車(=和風客車)に対して欧風客車と呼ばれ、後にジョイフルトレインと呼ばれるようになります。ジョイフルトレインは国鉄末期からJR初期にかけ、バブル景気を背景に各地に登場しました。
そのジョイフルトレインの元祖が1983年8月に登場した東京南鉄道管理局の「サロンエクスプレス東京」です。一方、大阪鉄道管理局でも時を同じくして改造工事が進められ、直後の1983年9月に「サロンカーなにわ」を登場させました。営業開始こそ1か月遅れですが、開発は同時期であり「サロンカーなにわ」も「サロンエクスプレス東京」と共にジョイフルトレインの祖であると言えるでしょう。
改造と車内
「サロンカーなにわ」は「サロンエクスプレス東京」同様、特急形客車の14系客車(座席車)を改造して誕生しました。改造工事は高砂工場で1983年3~9月にかけて行われました。
サロンエクスプレス東京は全席コンパートメント(個室)でしたが、運用の自由度を確保するべく「サロンカーなにわ」は開放タイプの座席車となりました。全車がグリーン車となっています。座席は2人掛けと1人掛けの回転式リクライニングシートを千鳥配置とし、客室内の通路は側通路式としました。座席は45度ごとに固定可能で、窓側に向けたり、お互いに向い合せたりと多彩なシートアレンジが可能になりました。シートピッチは新幹線・特急のグリーン車で標準の1160mmを確保しています。座席部分の床は側通路より60mm高いハイデッカーとなっています。
客室にはビデオスクリーン、カラオケ用ジュークボックスといった団体旅行を楽しく盛り上げる機器が用意されました。仕切り壁にはステンドグラスが設置されました。
14系座席車は片側2ドアですが、後位側ドアを埋め片側1ドアとされました。客室は土足禁止とし、下駄箱とスリッパが用意されました。
編成両端の展望車は緩急車のスハフ14を種車とし、トイレ・洗面所側の車体を台枠を残して撤去、台枠を延長したうえで展望室を構築しています。流線型のサロンエクスプレス東京に対し、往年の開放式デッキ展望車風のデザイン(ただし密閉式)とされました。種車では編成端を向くため乗務員室側が折妻でしたが、撤去したトイレ・洗面所側の骨組みを用い切妻に改造しています。「サロンエクスプレス東京」では折妻のままだった為、「サロンカーなにわ」は細かい部分の見た目にまでこだわって制作されたことが分かります。
各車の車番、設備は以下の通りです。サロンエクスプレス東京の続番で14系700番台に区分されました。
1号車 スロフ14 703 展望ラウンジ、スナックカウンター
2号車 オロ14 706 開放座席
3号車 オロ14 707 開放座席
4号車 オロ14 708 開放座席
5号車 オロ14 709 開放座席
6号車 オロ14 710 開放座席
7号車 スロフ14 704 開放座席、展望室
運用
「サロンカーなにわ」は1983年9月24日に運転を開始しました。1987年の国鉄分割民営化ではJR西日本に継承されました。以降、現在に至るまで40年以上現役で活躍しています。1994年と2011年にはリニューアル工事が行われました。
鉄道連絡船に搭載する為の航送用フックを装備しており、瀬戸大橋開業前に宇高連絡船で輸送して四国で運転されたこともありました。
民営化後はお召列車専用の「1号編成」がJR東日本に継承されたことから、「サロンカーなにわ」がJR西日本管内のお召し列車として運用されています。御料車となるスロフ14 703の窓は防弾ガラスで、スロフ14 703に隣接するオロ14 706のトイレは洋式に改造されています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は「サロンカーなにわ」について解説しました。
同時期に登場した「サロンエクスプレス東京」は1997年にお座敷列車「ゆとり」に改造、2008年に廃車となりました。それに対して「サロンカーなにわ」は現在に至るまでの長きにわたって活躍し、ジョイフルトレインの祖の姿を現在に残しています。
最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください
参考文献
ジョイフルトレイン図鑑 小賀野実 JTBパブリッシング
バブル期の鉄路の華「ジョイフルトレイン」の記憶 東洋経済オンライン
Wikipedia