こんにちは!今回はサロンエクスプレス東京について解説します。国鉄末期からJR初期にかけて数多く登場した団体列車用の車両「ジョイフルトレイン」。その元祖となったのがサロンエクスプレス東京でした。同時期に関西に登場したサロンカーなにわが現在も活躍する一方、サロンエクスプレス東京は登場から15年足らずで姿を消しています。
団体列車として活躍したお座敷列車
サロンエクスプレス東京の登場以前、団体列車と言えばお座敷列車でした。
お座敷列車のルーツは1960年10月、盛岡鉄道管理局がスハシ29 103を改造したスハ88 1で、1両で定期列車に増結し、小口団体用として用いられました。翌年、オハフ61 868を改造したオハ80-1が追加されています。
編成単位で団体列車として運用されたお座敷列車は1969年5月に名古屋鉄道管理局に登場しました。オハ35・オハフ33各3両を改造したオハ80 2000番台・オハフ80 2010番台で6両編成を組みました。
その後、1972年には冷房搭載のスロ62・スロフ62を改造したスロ81・スロフ81が、1980年には12系改造のお座敷列車が登場しています。
サロンエクスプレス東京の登場
1983年8月、特急形客車の14系座席車を改造した「サロンエクスプレス東京」が登場しました。改造は大宮工場で行われ、東京南鉄道管理局品川運転所に配備されました。テーマは「新しい旅の創造」で、これまでのお座敷列車では取り込めていなかった若年層をターゲットとしています。既存のお座敷列車(和風客車)に対し、欧風客車と呼ばれました。
サロンエクスプレス東京の設計理念は以下の通りです。
・話題性に富んだイメージで、乗車意欲をそそる、魅力的で現代的なスタイルとする。
・OL、ヤング層に注目され、高級志向にも十分応える豪華でスマートな設備とする
・快適な居住性、乗り心地を得ること
客室はグループ単位でプライバシーを確保するべく全席をコンパートメント(個室)とし、側通路式で配置しました。編成両端を大型窓を備えた流線型の展望車とし、景色を楽しめるフリースペースが設けられました。全車がグリーン車扱いとなっています。
編成は7両編成で、各車両の設備は以下の通りです。
1号車 スロフ14 701「パノラマコンパートメントカー」 展望室(回転椅子設置)・コンパートメント6人用3室・5人用1室
2~6号車 オロ14 701~705「コンパートメントカー」 コンパートメント6人用5室
7号車 スロフ14 702「パノラマラウンジカー」 展望ラウンジ(回転椅子・ソファー設置)・軽食喫茶カウンター
パノラマラウンジカーにはビデオデッキ・ビデオカメラ・オーディオ機器・カラオケ装置が備えられ、各個室のテレビにイベントの様子などを配信できました。
編成両端に連結される展望車はスハフ14を種車とし、トイレ洗面所のあった側の車体を切断し、新造した展望室を接合して制作されました。種車では乗務員室側を編成端に向けていた為、乗務員室側は折妻となっています。この方法は後の14系及び12系の改造展望車にも用いられました。
好評のサロンエクスプレス東京、ジョイフルトレイン各地に出現
サロンエクスプレス東京は斬新なデザインと車内での楽しみによって乗客の人気を博し、団体列車に活力を与えました。改造スケジュールの関係で当初は5両編成で運転されましたが、10月から7両編成となっています。
団体列車の他、臨時特急でも運用され、伊豆方面への「サロンエクスプレス踊り子」、軽井沢方面の「サロンエクスプレスそよかぜ」等が設定されました。1983年9月23日には鉄道ジャーナルのミステリー列車企画で大井川鉄道に乗り入れ、蒸気機関車C11 227が牽引しました。
1984年の鉄道友の会第24回ブルーリボン賞を受賞しています。
本列車と1983年9月登場のサロンカーなにわの成功により、各地に欧風客車が登場しました。当初、これらの列車は「イベント列車」や「スペシャルトレイン」と呼ばれていましたが、1986年夏の国鉄営業会議で「ジョイフルトレイン」の呼び名が出て、同年秋頃より採用されました。
1987年4月、サロンエクスプレス東京は国鉄分割民営化により、JR東日本に継承されました。
お座敷列車「ゆとり」への改造
バブル崩壊と団体旅行から個人旅行へのスタイルの変化により、団体列車用であるジョイフルトレインは衰退していき、代わって個人で利用できる地域密着型の観光列車が発展していきました。
サロンエクスプレス東京は1997年1月をもって引退し、12系なごやか(1997年7月引退)の代替としてお座敷列車に改造され、愛称も「ゆとり」に改名されました。1995年5月より運用を開始しています。
編成は6両に減車されましたが、塗装はサロンエクスプレス東京のままとされました。車内は掘りごたつ式の和室になりましたが、編成両端の展望室には回転椅子が残されました。
編成から外されたオロ14 702は1999年より新潟支社の12系お座敷列車に組み込まれる「サロン佐渡」に転用されましたが、2002年2月に編成ごと廃車されました。
「ゆとり」ラストラン
「ゆとり」は2007年秋になって翌2008年3月ダイヤ改正で引退することが決定しました。臨時列車としての運転は2007年12月1日「お座敷ゆとり碓氷」(上野~横川)で終了し、団体列車の利用申し込みも2月上旬分までとされました。
しかし、日本の鉄道に革新をもたらした元「サロンエクスプレス東京」である「ゆとり」を特に何もしないまま引退させてよいのかと社内から声が上がりました。そこで、さよなら運転の旅行商品が企画されました。「サロンエクスプレス東京」ゆかりの複数の線区で、様々な機関車によるプッシュプル運転が行われました。設定された各列車の運転日、区間、牽引機は以下の通りです。(何れも往復運転)
2008年2月24日 さよならゆとり両毛号 上野~桐生 牽引機EF60 19・EF81 99
2008年3月1日 さよならゆとり磐梯号 上野~郡山 牽引機EF65 1118・ED75 757
2008年3月2日 さよならゆとり奥利根号 上野~水上 牽引機EF64 39・EF65 1118(EF64 36の代走)
2008年3月8日 さよならゆとり踊り子号 品川~熱海 牽引機EF65 1100・EF65 1118
2008年3月9日 さよならゆとり踊り子号 品川~熱海 牽引機EF65 1118・EF65 1100(前日と逆)
引退後、中間車は同年中に廃車回送されましたが、両展望車は2015年7月まで尾久車両センターに保管されていました。展望車の保存・展示の計画があったと思われますが、残念ながら実現せず解体されました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は「サロンエクスプレス東京」について解説しました。
国鉄末期に登場したサロンエクスプレス東京は、お座敷列車とは違った団体列車として若年層を取り込みました。サロンエクスプレス東京の成功により欧風客車が次々と登場、「ジョイフルトレイン」の名が生まれました。しかし、サロンエクスプレス東京は旅行スタイルの変化もあり、晩年は12系なごやかの置き換えの為にお座敷列車に改造されました。お座敷列車に代わる新たな団体列車の形を築いた祖でありながら、自身は最終的にお座敷列車になったのです。ジョイフルトレインはそれぞれが個性的であり、当時の団体旅行に合った整備のものが多くみられます。カラオケ設備のある列車が多いのも特徴ではないでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他のジョイフルトレインの記事もお読みになってください。
参考文献
ジョイフルトレイン図鑑 小賀野実 JTBパブリッシング
バブル期の鉄路の華「ジョイフルトレイン」の記憶 JR各社が競って導入、色とりどりのイベント車|特急・観光列車|東洋経済オンライン
Wikipedia