大西洋を横断した初の蒸気船 サヴァンナ号 歴史的な航海とその短い生涯

船舶
Stanton, Samuel Ward (1870-1912), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Savannah_(steamship).JPG

こんにちは!今回は蒸気船サヴァンナ号について解説します。小さな郵便帆船は一人の船長との出会いをきっかけに蒸気船に生まれ変わり、蒸気船初の大西洋横断という偉業を成し遂げました。しかし、その後は運命に翻弄されることになります。

蒸気船の可能性を信じたモーゼス・ロジャーズ船長

1807年、世界で初めて商業的に成功した蒸気船であるロバート・フルトンのクラーモント号がハドソン川で初航行しました。この初航行を、後にサヴァンナ号の船長となるモーゼス・ロジャーズは見ていました。

その後、モーゼスは1809年に蒸気船フェニックス号の船長となり、蒸気船として初めてとなる外洋航海を行いました。1817年からは蒸気船チャールストン号の船長となりチャールストン港~サヴァンナ港間での旅客輸送を行っていました。

当時、蒸気船の信頼性は低く、運用は河川や沿岸部に限られていました。多くの人々は蒸気船で大洋を横断するなんて不可能だと考えていました。その中で、モーゼスは蒸気船による史上初の大西洋横断を計画します。計画の為にサヴァンナ港の船会社を説得し、ニューヨークで建造中の小型郵便帆船を購入させ、建造途中での蒸気船への改造を実施しました。この船は母港にちなみ「サヴァンナ号」と命名されました。

サヴァンナ号の設計

サヴァンナ号は木造外板平張り構造で、全長33m・トン数320トンとなっています。

燃費と燃料搭載量の関係から蒸気機関だけでの大西洋横断は不可能であることと、当時の蒸気機関の信頼性の低さから、蒸気機関と帆装を併せ持つ汽帆船とされ、3本のマストが設けられました。蒸気機関は船体の中央部に搭載され、1番マストと2番マストの間に煙突が1本設置されました。蒸気機関との兼ね合いでメインマストは後ろよりに配置されています。

外輪の直径は4.9メートルで、帆走時は折り畳み、甲板へ引き上げて格納可能でした。格納作業は15分未満で完了できました。これは蒸気機関を使用していない際の抵抗削減や損傷防止の為の設計でした。同様の仕組みを持つ船は他に無く、格納式の外輪を備えた船はサヴァンナ号が史上唯一となりました。

船内は男女別の区画に分けられ、2段ベッドを備えた16室の個室と3か所の社交室が設けられました。鏡を用いて船内を広く見せる工夫がなされていました。内装には豪華な装飾が施され、マホガニーの羽目板や輸入物の絨毯を用いていました。

大西洋横断へ

Hunter Wood, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:SS-Savannah.jpg

サヴァンナ号は1819年3月22日に試験航海を行った後、3月28日~4月6日にかけてニューヨークからサヴァンナへ回航されました。この時蒸気機関を初めて使用し、207時間中41時間半の間稼働しました。

1819年5月11日にはサヴァンナ港をジェームズ・モンロー大統領が訪問し、サヴァンナ号に乗船しました。大統領はサヴァンナ号をカリブ海の海賊対策用に購入することを検討する為、大西洋横断後にワシントンで議会に見せることを提案しました。

1819年5月24日午前5時、サヴァンナ号は大西洋横断へ出港します。搭載燃料は石炭68トン、木材25コード(体積の単位・1コードは約2.4m×1.2m×1.2m)でした。蒸気船への信頼の低さから人々はサヴァンナ号が途中で沈没するのではないかと言い、「蒸気棺桶」と呼びました。その為、乗組員を確保するのにも苦労し、乗客や貨物は集まらず、実験航海となりました。

5月29日、スクーナー船コントラクトは煙を上げるサヴァンナ号を見て火災を起こしていると勘違いしました。まさか蒸気船が大西洋を横断しているとは思わなかったのです。コントラクトは数時間追跡するも見失い、船長は蒸気船であったと結論付け、アメリカ人の技術と冒険心を賞賛しました。

6月2日には帆船プルートに出会い、ロジャーズから航海が順調と知らされたプルートの乗組員はサヴァンナ号に喝采を送りました。

6月19日、英海軍軍艦カイトも火災を疑い、サヴァンナ号を追跡しましたが追い付けなかった為、警告射撃をして停船させ、臨検を実施しました。

サヴァンナ号はアイルランド・コーク沿岸で燃料が切れた為、コークへの寄港が検討されましたが、そのまま6月20日午後6時にイギリス・リヴァプールに到着しました。リヴァプールではサヴァンナ号を一目見ようと多数の見物人が集まりました。29日と11時間の航海で、蒸気機関は全体の11%となる80時間使用されました。

北欧、ロシアへの航海

7月21日、サヴァンナ号はリヴァプールを出港し、デンマーク、スウェーデン経由でロシアへ向かいました。

デンマーク・ヘルシンゲルには8月9日から8月14日まで寄港し、その後バルト海に入りました。サヴァンナ号はバルト海を航行した初の蒸気船となっています。

スウェーデン・ストックホルムには8月22日から9月5日まで寄港しました。ストックホルム滞在中は、8月28日に王子が視察に訪れ、9月1日には貴族や大使を招待しての体験航海が行われました。スウェーデン政府からサヴァンナ号買い取りの申し出がありましたが、モーゼスはこれを断りました。

サヴァンナ号は9月9日にロシア・クロンシュタットに、9月13日にはロシア・サンクトペテルブルクに到着しました。リヴァプール~サンクトペテルブルク間では蒸気機関が長時間使用され、241時間稼働しました。サンクトペテルブルクでは9月18・21・23日にロシア皇室、軍人他著名人を招待しての体験航海を実施しました。ロシア政府からもサヴァンナ号買取の申し出がありましたが、これも断っています。

サヴァンナ号はスウェーデン、ロシア両国の政府にとってぜひ買ってみたいと思わせる船だったのでしょう。

アメリカへの帰路

帰路は9月29日にロシアを発ちましたが、嵐に見舞われ損傷した為、10月10日に再出発となりました。10月17日にデンマーク・コペンハーゲンに寄港、その後ノルウェー・アーレンダールに嵐を回避する為寄港、そして大西洋を横断し11月30日にサヴァンナ港に帰還しました。

帆船化と早すぎる最期

大西洋横断に成功したサヴァンナ号ですが、大西洋横断の定期便を運航できるほどの乗客や貨物を集めることはできませんでした。そこで船会社はアメリカ政府の買い取りを受けようとします。サヴァンナ号は12月3日にサヴァンナ港を出て、12月16日にワシントンDCへ到着しましたが、アメリカ政府が既に興味を失っていた為、政府による買い取りは実現しませんでした。 

1820年1月、サヴァンナ港で発生した大火災により船会社の財政が悪化、サヴァンナ号は売却されます。売却後は積載量を増やす為、蒸気機関を下ろして帆船に改造されました。郵便船としてニューヨーク~サヴァンナ間で運航されましたが、1821年11月5日にロングアイランドで座礁大破し、歴史的な偉業を成し遂げた船はわずか3年足らずの生涯を終えました。

事故から200年以上後の2022年10月になって、ハリケーンでサヴァンナ号の残骸と思われる木材が打ち上げられ、発見されました。

蒸気船初の大西洋横断についての異説

Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:SS_Royal_William_1834_painting.png
ロイヤル・ウィリアム号は大西洋横断時、蒸気機関メンテナンスの際のみ帆走した

前述の通りサヴァンナ号は大西洋横断時ほとんど帆走で航行していた為、蒸気船による初の大西洋横断とは言えないという異論が唱えられています。蒸気船による初の大西洋横断としては1827年に長時間蒸気機関を使用して大西洋を横断したオランダのキュラソー号や、1833年にほぼ完全に蒸気機関のみで大西洋横断を行ったカナダのロイヤル・ウィリアム号が挙げられています。

名前を継いだ原子力船

Acroterion, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:NS_Savannah_exterior_MD2.jpg
原子力貨客船サヴァンナは現在博物館船として保存・公開されている

1961年に竣工したアメリカ初の原子力商船である原子力貨客船サヴァンナは、サヴァンナ号に因んで名付けられました。船籍もサヴァンナ港に置かれ、船内のレストランにはサヴァンナ号の模型が飾られていました。両船とも推進機関において革新的であったという共通点を持ちます。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は「サヴァンナ号」について解説しました。

帆船として建造中に蒸気船に改造されたサヴァンナ号は、蒸気船初の大西洋横断の偉業を成し遂げました。スウェーデン政府、ロシア政府からの買い取りの申し出を断り、帰国したサヴァンナ号ですが、出発前に関心を持っていたアメリカ政府からの買い取りは実現しませんでした。買い取りはタイミングが重要だったのかもしれません。歴史的航海の成功にもかかわらず、乗客や貨物は集まらず、定期便の運航は実現しませんでした。そして、サヴァンナ号は港の火災による船会社の財政悪化により売却され帆船に戻り、その後わずか1年程で沈没しました。

最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。

参考文献

図説世界史を変えた50の船 イアン・グラハム 角敦子訳 原書房

図説船の歴史 庄司邦明 河出書房新社

Wikipedia日本語版・英語版

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