こんにちは!今回は世界初の蒸気タービン船であるタービニアについて解説します。新発明の蒸気タービン機関の性能を宣伝するため、タービニアは予告も無しに観艦式に現れました。そして、従来の蒸気船を圧倒する性能を人々に見せたのです。なぜ、予告なしに現れたのでしょうか。早速見ていきましょう。
蒸気タービンの実験船「タービニア」
蒸気タービン機関は、従来の蒸気機関が蒸気によるピストン運動を回転運動に変換するのに対して、蒸気によってタービン(羽根車)を回し回転運動を取り出す機関です。
蒸気タービン機関は、1884年にイギリスの発明家チャールズ・パーソンズ伯爵によって発明されました。パーソンズ伯爵は蒸気タービン機関を船の推進力として用いることを考え、船舶用蒸気タービンの特許を取得、実験船「タービニア」を建造して1894年8月2日に進水させました。
タービニアは全長31.6メートル、全幅2.7メートル、排水量44.5トンで、3基の蒸気タービンを搭載し、総出力2400馬力を発揮しました。当初スクリューは1つでしたが、回転が速すぎてキャビテーション(圧力差によって泡が発生する現象、これが起こると水を押し出せなくなる)を起こしたため、3つのシャフトを設け、それぞれに3枚羽のスクリューを3基ずつ取り付け、計9枚のスクリューとしました。最高時速は当時最速の34.5ノットに達しました。
1897年、パーソンズ伯爵は船舶用蒸気タービン機関を製造する「パーソンズマリンスチームタービンカンパニー」を設立しています。
観艦式でのデモンストレーション
パーソンズ伯爵は蒸気タービン機関の優れた性能をアピールするため、タービニアを用いた大胆なデモンストレーションを企画しました。
1897年6月26日、タービニアはヴィクトリア女王即位60周年記念観艦式に予告無しで飛び入り参加しました。軍艦の間に入り加減速を繰り返すタービニアを警備艇が追いましたが、追い付くことはできませんでした。
その性能に感銘を受けたイギリス海軍は、試験を実施したのち蒸気タービン機関を採用し、蒸気タービン搭載艦として1899年に駆逐艦ヴァイパーとコブラが、1906年には戦艦ドレッドノートが建造されました。1905年、イギリス海軍本部は以降建造する軍艦すべてに蒸気タービン機関を搭載することを決定しました。
商船においても1901年建造のTSキングエドワードで初採用され、蒸気タービン機関は船の推進機関としての地位を確立しました。
その後、タービニアは1900年のパリ万国博覧会に出展されています。
タービニアの保存
1907年、タービニアはクロスビーと衝突事故を起こします。大きく損傷しましたが修理されました。1908年以降、タービニアは劣化を防ぐため陸に引き上げて保管されました。
1926年にロンドン科学博物館へ寄贈されましたが、全体での展示はできず、分解して後半部のみを展示しました。保管されていた前半部は1944年からニューカッスル市エキシビションパークで展示されました。その後、1961年には再び組み立てられ、ニューカッスル科学産業博物館で展示され、1983年には全面的な復元工事が行われました。1994年からはニューカッスル科学博物館(現在のニューカッスルディスカバリーミュージアム)に移され、現在まで展示されています。
2000年にはイギリスのナショナルヒストリックフリート(国定歴史艦隊)に登録されています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は「タービニア」について解説しました。
パーソンズ伯爵は世界初の蒸気タービン船「タービニア」を用いた大胆なデモンストレーションでその性能をイギリス海軍にアピールすることに成功します。飛び入り参加とは凄いですが、それが功を奏しました。そして蒸気タービン船は軍艦・商船の両方で普及しました。歴史を変えたタービニアの姿は現在でも博物館で見ることができます。
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参考文献
図説世界史を変えた50の船 イアン・グラハム 角敦子訳 原書房
図説船の歴史 庄司邦明 河出書房新社
Wikipedia日本語版・英語版