七尾線・和倉温泉直通! 国鉄唯一の電車に牽引された気動車特急「ゆぅトピア和倉」

鉄道
spaceaero2, CC BY-SA 3.0 , ウィキメディア・コモンズ経由で https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kiro65_YUtopia_wakura_raityou.jpg

こんにちは!今回は「ゆぅトピア和倉」について解説します。「ゆぅトピア」とひらがなとカタカナのネーミング。しかも「ゆう」ではなく「ゆぅ」と小文字が入り、印象に残ります。2024年の北陸新幹線敦賀延伸に伴い、大阪から七尾線に直通するサンダーバードが廃止され、和倉温泉にアクセスするには敦賀と金沢で乗り換えが必要になりました。この七尾線直通サンダーバードのルーツとなったのが「ゆぅトピア和倉」です。

大阪から和倉温泉への直通列車の復活

1978年10月2日のダイヤ改正で、急行「ゆのくに」(大阪~米原~金沢~輪島・宇出津)の七尾線直通列車が廃止されました。これにより関西から七尾線方面への直通列車は無くなり、金沢駅での乗り換えが必要となりました。

1980年代半ば、関西から和倉温泉への観光客を取り込む為、七尾線直通列車の復活が計画されますが、当時はまだ七尾線は非電化でした。気動車や客車列車では電車と比べ北陸本線区間での所要時間が伸びてしまいます。また、電車で非電化区間へと機関車牽引で乗り入れる場合は、機関車に加えて電車にサービス電源を供給する電源車が必要になります。

そこで直通列車の気動車を北陸本線区間で485系電車で運転されていた特急「雷鳥」に併結運転することになります。気動車と電車の併結運転は国鉄で初めてとなりました。電車と気動車の協調運転はまだ開発途中(後に「オランダ村特急」で実現)であった為、気動車を付随車として電車に牽引する方式が採用されました。

車両は急行型気動車のキハ65を改造し、「ゆぅトピア」の愛称が付けられました。

電車との併結対応改造

「ゆぅトピア」は被牽引時に485系の後ろに併結され、駆動用エンジンを停止し、サービス電源用エンジンのみを作動させます。「ゆぅトピア」の運転士と車掌は被牽引時も乗務しました。

連結器は自動連結器から電車と同じ密着連結器に変更され、自動連結器を備える他の気動車とは連結できなくなりました。併結する485系の先頭車は200番台と300番台に限定され、分割併合運用を想定していないボンネット先頭車との併結はできませんでしたが、運用の制約を無くすため1989年3月以降、ボンネット先頭車のスカートを切り取り、密着連結器と制御回路用ジャンパ連結器を装備する改造がなされました。

キハ65の最高速度は95km/hですが、被牽引時に485系の最高速度120km/h運転に対応する為、台車枠が新製され、軸箱支持方式がリンク式からペデスタル式へ改められました。なお、自走最高速度は95km/hに据え置かれていました。

併結運転時に485系とブレーキを協調させる為、応荷重装置付き電磁直通ブレーキの指令線が引き通され、高速運転での制動力確保の為ブレーキシューも特急用に交換されました。

485系側は運転台からゆぅトピアの逆転機とドアの状態を監視できるように改造されました。「ゆぅトピア」の逆転機を被牽引時には中立としておかなければなりません。ドア扱いは485系とゆぅトピアで個別に行われますが、走行中にドアが開くと485系の警報ブザーが鳴るようになっています。

暖房は被牽引時に走行用エンジンを停止する為、エンジンの排熱を利用した温水式から電気式に変更されました。

内外装の改造

ゆぅトピアは2両編成1本が改造されました。全車グリーン車で、車番は1号車がキロ65 1、2号車がキロ65 1001とされました。

車体は前方7mを切断し、新造した展望室の構体と接合されました。新造部分は1985年に登場したキハ56改造のジョイフルトレイン「アルファコンチネンタルエクスプレス」とほとんど同じ仕様となっています。

展望室は床を600mm高くしたハイデッカーで、運転席越しの前面展望を楽しむことができました。乗客が自由に利用できるラウンジとされ、1号車は回転椅子2席とソファー6席、2号車は回転椅子8席が設置されました。

客室も座席部分を通路より110mm高くしたハイデッカーとなり、客室窓は固定窓になりました。2+2配置・シートピッチ1100mmで回転式リクライニングシートが配置されました。1号車、2号車共に定員は36名となっています。

種車のキハ65はキハ58系との混結を前提に設計された為トイレ・洗面所を持ちませんでしたが、ゆぅトピアはキハ65だけの編成を組む為、1号車にトイレ・洗面所を設置しています。2号車には車内販売準備室・公衆電話が設置されました。非貫通構造の展望車となった為、走行中に雷鳥編成と行き来することは出来ませんでした。

運転開始と予備車の登場

直通列車の列車名は車両愛称と目的地にちなみ「ゆぅトピア和倉」と名付けられ、1986年12月27日より週末運転の臨時列車として1往復が運転されました。客扱いは大阪・新大阪・京都・金沢・和倉温泉のみとし、雷鳥の他の停車駅ではドアを開けず、関西から和倉温泉への需要に特化しています。送り込み運用として大阪~金沢間の「ゆぅトピアライナー」としても運転されました。

「ゆぅトピア和倉」運用の無い平日、「ゆぅトピア」はその車内設備を生かし団体列車用として使用されました。

1988年、キハ65改造のジョイフルトレイン「ゴールデンエクスプレスアストル」が登場します。3両編成で団体列車・臨時列車用でしたが、両先頭車は「ゆぅトピア」とほぼ同仕様で、中間車を減車した2両編成で「ゆぅトピア和倉」運用の代走が可能でした。

「ゴールデンエクスプレスアストル」の登場により予備車が確保され、1988年3月13日ダイヤ改正で「ゆぅトピア和倉」は臨時列車扱いのまま毎日運転となりました。

spaceaero2, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kiro65_ASTRE_wakura.jpg
「ゆぅトピア和倉」運用に入った「ゴールデンエクスプレスアストル」 展望室の前面窓は6枚ガラスから2枚ガラスとなり、側面窓が屋根側に回り込んだ曲面ガラスとなるなど、「ゆぅトピア」からマイナーチェンジされた

七尾線電化と車両のその後

1991年9月1日、七尾線が電化されスーパー雷鳥3往復(大阪~和倉温泉)、しらさぎ1往復(名古屋~和倉温泉)が乗り入れるようになり、役割を終えたゆぅトピア和倉は廃止されました。

ゆぅトピアは団体列車・臨時列車用に転用されゴールデンエクスプレスアストルとともに活躍しましたが、1994年の冬にエンジンが故障し、修理されないまま1995年3月31日に廃車されました。

一方、ゴールデンエクスプレスアストルは1998年にリニューアルを受け、2006年11月まで活躍しています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は「ゆぅトピア和倉」について解説しました。

ゆぅトピアは大阪から七尾線和倉温泉駅への直通列車を復活させる為、国鉄初となる電車と気動車の併結運転を実現しました。七尾線の電化によってその使命を果たしたのはわずか5年間でしたが、ゆぅトピアの登場が復活のきっかけとなった直通列車は、電化以降も北陸新幹線敦賀延伸により在来線特急が敦賀止まりになる2024年まで走り続けました。また、電車と気動車の併結運転は他の列車にも波及し、電車と気動車の協調運転も実用化されることになります。

最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。

参考文献

ジョイフルトレイン図鑑 小賀野実 JTBパブリッシング

日本のパノラマ展望車 徳田耕一 JTBパブリッシング

Wikipedia

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