こんにちは!今回はイギリスのジェット旅客機「ヴィッカースVC-10」について解説します。VC-10の最大の特徴は、リアエンジンの四発機であることです。リアエンジンで四発というレイアウトの採用例は少ないですが、VC-10はなぜこの方式を採用したのでしょうか。VC-10の開発経緯をたどりながら見ていきましょう。
幻の英国製ジェット旅客機VC-7
1952年、イギリス空軍から3V爆撃機(ヴィッカース・ヴァリアント、アヴロ・バルカン、ハンドレページ・ビクター)を支援する為の高速輸送機の仕様が提示され、これに3V爆撃機のメーカー3社が応じます。3社とも以前より自社の爆撃機をベースとした輸送機について検討していました。
1953年にヴィッカース社はヴァリアント同様の高翼機の案を提出しましたが、旅客機としての販売も考え再検討し、低翼機のV1000案を提出しました。胴体径は3.81mで、主翼付け根に4基のロールスロイスコンウェイターボファンを埋め込んだ機体でした。
イギリス空軍3社の案の中からヴィッカース社の案を採用し、試作機1機、量産機6機の契約が結ばれました。ヴィッカース社は同時に民間仕様のVC-7(V1002)をBOACに売り込みます。
しかし、1955年11月に空軍は英国植民地の独立を背景に契約をキャンセルしました。自社資金で開発を続けることは難しく、民間型も計画中止になってしまいました。その翌年、BOACはボーイング707のロールスロイスコンウェイ搭載型である707-420を発注しています。イギリスはジェット旅客機市場をアメリカに取られることになりました。
英国ならではの事情に対応した旅客機の開発
BOACは連続墜落事故を起こし飛行停止となっていたデ・ハビランド・コメットの改良型コメット4を発注していましたが、設計が古く既に旧式化していました。また、707-420は大西洋横断線やヨーロッパ線には十分な性能を持っていましたが、アフリカ線やアジア線の高温・高地の空港では離着陸性能が不足し、インペリアル航空時代から続いている英連邦諸国を結ぶ「大英帝国路線」の運航には不向きでした。
そこでBOACは高温・高地の空港でも十分な離着陸性能と航続距離を発揮できる機体の開発をイギリスのメーカーに依頼しました。その依頼を受けたのはデ・ハビランド社、ハンドレページ社、そしてヴィッカース社の3社でした。
1957年末、ヴィッカース社はBOACの要求に応じて、リアエンジン4発のV1100案を提示します。1958年1月、BOACはV1100を確定35機、オプション10機発注しました。V1100は同年3月、VC-10と命名されました。
こうしてVC-10はデ・ハビランド・コメットの後継であると同時に、ボーイング707やダグラスDC-8に対抗する機体として開発が始められました。しかし、BOACの要求を最優先に開発された為、アメリカなど国際市場の要求には合致しない点もありました。
離着陸性能を重視したVC-10の設計
VC-10はリアエンジン四発機で、ターボファンエンジンのロールスロイスコンウェイMk30を搭載しています。
主翼にエンジンを取り付けず、リアエンジンとすることで空力的に最大効率を発揮できるクリーンな主翼を実現しました。高揚力装置も充実しており、主翼後縁にファウラーフラップ、主翼前縁にスラットを備えています。
エンジンが地面から離れている為、低圧幅広タイヤの採用と相まって未舗装滑走路での運用を可能にしました。
翼型はDC-8と同様にピーキー翼を採用し、それにより主翼後退角は32.5度(1/4翼弦)と小さめとしています。
操縦翼面はフラップを内側、エルロンを外側に集中配置し、フラップとエルロンの間に境界層フェンスを設けています。エルロン、ラダー、エレベーターは2分割され、それぞれに2重の電気油圧系統を備えてています。片方が完全に停止しても操縦可能とし、人力の操縦系統は持っていません。
胴体は二重円弧の逆だるま型で胴体幅は3.81m、座席は横6列配置となっています。胴体はターボプロップ旅客機ヴィッカース・ヴァンガードの治具を流用する案もありましたが、新規開発となりました。
機体は基本的にアルミニウム合金製のセミモノコック構造ですが、主翼結合部の4か所の胴体フレームとエンジンを吊る2本のアウトリガーは鋼製となっています。
初飛行から就航まで
1962年4月15日に試作1号機(V1100)がロールアウトし、6月29日に初飛行しました。テストパイロットはジョック・ブライスでした。
11月8日には量産1号機(V1101)が初飛行しました。テストパイロットは試作1号機の初飛行で副操縦士を務めたブライアン・トラブショウで、後にコンコルドの主任テストパイロットとして有名になります。
VC-10は1964年4月23日にイギリス当局の型式証明を得て、4月29日にBOACのロンドン~ラゴス線で就航しました。
改良型スーパーVC-10の登場
VC-10の開発に並行し、改良型のスーパーVC-10(V1151)の開発も進められました。コンウェイMk540(バイパス比0.65)を搭載 推力増加し、胴体を3.96m延長し座席数は151席から174席に増加しました。スーパーVC-10との区別の為、既存のVC-10はスタンダードVC-10と呼ばれることもあります。
スーパーVC-10はブライアン・トラブショウの操縦で1964年5月7日に初飛行、1965年4月1日にBOACのロンドン~ニューヨーク~サンフランシスコ線で就航しました。
販売不振、生産終了
VC-10はライバルより登場が遅れ、その間に搭載エンジン性能の向上によりVC-10以外の機体でも高温・高地の空港でも運用が可能になりました。
1960年にヴィッカース航空部門はブリティッシュエアクラフト社の一部になり、しばらくはヴィッカースブランドでしたが、1965年にブランドもブリティッシュエアクラフト社(BAC)に統一され、BAC VC-10となります。
BOACは最終的にスタンダードVC-10を12機、スーパーVC-10を17機導入しました。BOACが赤字で会長・社長が辞任に追い込まれている中で、VC-10も707と比べると経済性に疑問があるとされ、赤字の原因扱いされてしまった為に発注が減らされてしまいました。
VC-10はイギリスと縁が深い国や高温・高地の空港を拠点にした航空会社に向けて販売され、ブリティッシュユナイテッド航空、ガーナ航空、レイカー航空、東アフリカ航空で導入されました。
イギリス空軍も輸送機として採用し、VC-10 C1(V1106)を14機導入しました。スタンダードVC-10の胴体にスーパーVC-10の主翼を組み合わせた仕様で、後に空中給油機VC-10 C1Kへ改造されています。また、民間用のスタンダードVC-10、スーパーVC-10の中古機も買い集め、空中給油機として使用しました。
VC-10は登場時期が遅く、すでに707、DC-8が普及しており、性能・経済性でライバルに決定的な優位性が無かった為、スタンダード18機、スーパー22機、軍用型14機の54機で生産終了となりました。最後の機体は1970年2月に納入され、ラインが閉鎖されました。翌1971年に中国民航から問い合わせがありましたが、生産設備が解体されていたことから販売は実現せず、中国民航はイリューシンIL-62を採用しました。
1970年代に旅客機の騒音規制が厳しくなると、既存の機体の騒音を低減するハッシュキットの開発が行われるようになりました。VC-10用のハッシュキット開発も検討されましたが、VC-10の製造数が少ないことからコストの問題で計画は中止され、民間からの引退が早まってしまいました。
BOACの後身であるブリティッシュエアウェイズはスタンダードVC-10を1976年に、スーパーVC-10を1981年に退役させました。民間からの引退後もイギリス空軍では長く運用され、2013年9月に退役しました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は「ヴィッカースVC-10」について解説しました。
VC-10は英連邦を結ぶ路線にある高温高地の空港での運用、そしてアメリカ製ジェット旅客機への対抗の為に開発されました。
4発機では珍しくリアエンジンとし、クリーンな主翼と充実した高揚力装置により、高温高地の空港でも運用可能な高い離着陸性能を発揮しました。
しかし、アメリカ製ジェット旅客機が普及した後に遅れて登場した為、販売は伸びませんでした。
少数派故に騒音規制に対応するハッシュキットの開発も中止され、退役も早まりました。
それでも、イギリス空軍では民間の中古機まで買い集めて、長きにわたり運用されました。
最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。
参考文献
ジェット旅客機進化論 浜田一穂 イカロス出版
旅客機発達物語 石川潤一 グリーンアロー出版社
旅客機 CIVIL AIRLNERS since 1946 K.マンソン 湯浅謙三訳 野沢正監修 鶴書房
ジェット旅客機 コメット、B707からジャンボ、B767、A320まで 読売新聞社編
Vickers VC10 | BAE Systems
エンジン4発お尻に全集中!不運の超ユニーク機「VC-10」なぜそのカタチに?軍事で生き長らえ|乗りものニュース
Simple Flying Thr Story Of The Vickers VC10
Simple Flying 61 Years Ago: The Story Of The Vickers VC10’s First Flight
Wikipedia英語版