日本初の二階建てバス「ビスタコーチ」近鉄が生んだバス版ビスタカー

自動車

こんにちは!今回はバス版ビスタカー「ビスタコーチ」について解説します。

初の二階建て車連結!近鉄特急「ビスタカー」

1958年、近鉄は次世代の特急電車の試作として10000系を製造しました。7両編成1本が用意され、7月より営業運転を実施しました。その最大の特徴は二階建て車で、2両が組み込まれています。二階建て車は路面電車に前例がありましたが、普通鉄道用としては日本初で、高速電車としては世界初となりました。愛称は「ビスタカー」です。ビスタ(Vista)は「眺望」「展望」を意味し、二階建て車の眺めの良さをアピールした命名でした。

名古屋線の改軌が完了し、名阪直通が可能となった1959年、10000系の成果を受けた量産型として10100系「新ビスタカー」が登場しました。10100系は3両編成18本が製造され、名阪直通特急に投入されました。

バス版「ビスタカー」として開発された日本初の二階建てバス

「ビスタカー」の成功を受け、近鉄はバスにも二階建て車の導入を決めました。

1960年、近鉄、日野、近畿車両の共同開発で「ビスタコーチ」が開発され、試作車1台が路線バスとして運転を開始しました。センターアンダフロアエンジンの日野BD型シャーシを、近畿車両がリアエンジンに改造した上でボディを架装しました。

二階建てとなっているのはホイールベース間のみです。この部分の床を低くして上部に2階を設けました。二階建ての部分は前後より屋根が高く、上部に突き出しています。この段差部分に窓が設けられ、2階からの前面展望を楽しむことができました。乗降口は中ドア1箇所で、1階部分の床が低い為ノンステップとなっています。2階席へは1階席から後部客室を経由して上る構造でした。全高は当時の道路運送車両法の保安基準であった3.5mに収められています。制限の中で通路の高さを確保するため、2階の床には段差が付けられました。

1962年、増備車として量産車8台が製造されました。量産車は2階部分のデザインが変更され、試作車と見分けることができました。

ビスタコーチは乗降口が中ドア1箇所の為、ワンマン運転には対応できませんでした。1970年頃には近鉄から退役し、北日本観光自動車と南紀開発に移籍しました。ビスタコーチ以降、日本で二階建てバスは1979年まで導入されませんでした。

日本初の二階建てバスが日本初のノンステップバスを生んだ!?

1963年、近鉄はビスタコーチをベースにノンステップバスの試作車を開発しました。

ビスタコーチと同様にホイールベース間の床を下げ、ノンステップとしています。シャーシはビスタコーチと同様で、ボディは近畿車両が架装しました。乗降口は中ドア1箇所で、床の低いホイールベース間は窓の高さが低くなっていますが、屋根の高さは一定です。

ノンステップバスは1965年までに3次に分けて試作され、運用されましたが、本格導入には至りませんでした。また、この車両もビスタコーチ同様、ワンマン運転は不可能でした。

二階建てバスの復活

1979年、中央交通はドイツ製二階建てバス「ネオプラン・スカイライナー」を輸入しました。ホイールベース間のみが二階建てだったビスタコーチと異なり、現在の二階建てバスと同様に完全二階建てのバスで、日本の法規に対応する為の設計変更がなされていました。

中央交通の「ネオプラン・スカイライナー」導入を機に、日本で二階建てバスブームが起こりました。様々な海外メーカー製の二階建てバスが輸入され、各社が導入しました。

その後の近鉄と二階建てバス

二階建てバスブームの中、1982年に近鉄と日野はビスタコーチ以来の国産2階建てバスを開発。試作車を製造しました。RE161低床路線バスのシャーシに、モノコック構造の1階とスケルトン構造の2階を架装しました。この試作車はビスタコーチと同様に路線バス用として開発されましたが、認可の関係で観光バスとして運用されました。

1983年、日野、三菱、日産ディーゼルは二階建てバスを東京モーターショーに出展します。日産ディーゼル「スペースドリーム」は1984年に、日野「グランビュー」、三菱「エアロキング」は1985年に発売されました。1985年、近鉄は日野グランビューを観光バスとして導入、「ビスタカー」の愛称を付けました。グランビューの市販1号車が導入されたのが近鉄でした。

1997年には夜行高速バス用として三菱エアロキングを導入、既に日野グランビューは生産を終了していました。エアロキングは2009年まで導入が続けられましたが、2018年までに全車が夜行高速バスから退役しました。退役したエアロキングを改造し、2014年にオープントップバス「OSAKA SKY VISTA」がデビューしました。

西鉄のビスタコーチ?

近鉄は1982年以降復活した二階建てバスに「ビスタコーチ」の愛称を使いませんでした。しかし、「ビスタコーチ」の名は他社が二階建てバスに用います。西鉄は1983年1月、導入した2階建て貸切バスに「ビスタコーチ」の愛称を付けました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は「ビスタコーチ」について解説しました。

ビスタコーチは日本初の二階建てバスとして登場し、日本初のノンステップバスのベースとなりました。当時広がっていたワンマン化に対応できなかった為、二階建てバス・ノンステップバスの系統は一時的に途絶えることになりますが、後のバス車両の発展を思うと、近鉄には先見の明があったことが分かります。そして、後の国産二階建てバスの復活に関しても、近鉄は大きく貢献しました。 

最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ他の記事もお読みになってください。

参考文献

新版日本のバス年代記 鈴木文彦 グランプリ出版

ビスタコーチ カタログ

たくさんの人に愛されてきた「2階建バス」。その歴史とは?/ホームメイト

バリアフリーを考えた「ノンステップバス」とは?/ホームメイト

1976年~1985年|沿革|会社案内|グループ・企業情報|西日本鉄道株式会社

Wikipedia

タイトルとURLをコピーしました